異形の役者体62007年04月30日
皆さん、如何お過ごしですか? 根津甚八です。
皆さんから寄せられたコメントは、全て目を通させてもらってます。
悪質なものは、ある程度「テニス365」の方で管理してくれているので、不愉快な思いをすることもなく済んでいます。
ここのところ、多くの方のコメントが、何故か長くなってきているので、結構読みでがあり、ホント嬉しいっす(@o@)
様々な方のコメントに、笑ったり、驚いたり、時には「うん?」と思ったり、励まされたりしてきました。
ありがとうございます!!!
これからもドシドシお寄せください(^_-)-☆
さて、もうすぐ子供の日、端午の節句です。
これは、息子が生まれてから、こどもの日の一ヶ月ぐらい前になると、毎年飾っている。
そんなこと普通だと思われるでしょうが、どっこい、俺にはそうではないのです。
俺が生まれたのは、典型的な亭主関白主義の家庭でした。
父は、家の中では常に殿様のようで、俺にとってはとてつもなく恐い存在でした。
父は、母に用事がある時いつも「オイ」か「オ~イ」としか呼んでいなかったような気がする。たまにはきちんと名前で呼びかけていたのかもしれないけれど、俺の記憶の中には殆ど残っていない。
「巨人の星」の星飛雄馬の親父じゃないけど、何か気に入らないことがあると、茶の間のデカイ丸膳をよくひっくり返していました。
何一つ文句も言わず、飛び散った飯粒やおかずを片付けていた母の沈黙の背中・・・今でもハッキリと脳裏に焼きついています。
あの頃の日本では、どこの家庭でも見られたごく普通の光景だったと思うけど、(そう思ってるのは自分だけだったりして・・・)昨今では、もう殆ど見かけなくなってしまった。
あの「戸板返し」ならぬ「お膳返し」は、当時の「日本のお父さん」の課長、じゃなくて、家長としての権威の象徴の一つであって、きっと全国の家庭において日常的な光景で、一種の流行(はやり)だったんではないだろうか?
あの懐かしの「お膳返し」は、どうやって生まれ、一体いつ頃から日本中を席巻したのだろうか?
う~ん、気になる。誰か、知っていたら教えて欲しいっ!
そんな家庭だったから、俺の子供時代の家族全員揃ってのセレモニーは、元旦のお屠蘇の順番飲み(?)が、一年を通しての最初(これは、どの家庭でも同じか・・・)のものなのだが、他のと比べると、最も格式張った重々しい儀式であった。
そして、同じ元旦のお年玉、節分の日の豆まき、春のお彼岸の墓参り、花まつり(お釈迦さま誕生日)、こどもの日、お盆の迎え火と送り火、秋のお墓参り、十五夜の月見、年末の大掃除、大晦日の歌合戦を全員揃って総見・・・、そんなものだった。
誕生日は、特別な日ではなかった。無論誕生日プレゼントももらったことはない。
小学校高学年の時、友人のI君の誕生日に呼ばれていった時のことだ。
I君は、うれしさイッパイで横に置いてあったサイダーの瓶が詰まった(多分1ダースの)木箱を指して、信じられないことを言った。
「これさあ、お父さんからのプレゼントなんだ!」
俺はビックラしちゃった(◎_◎) おどれえちゃった(◎_◎)
誕生日会を、友人を呼んで開くことでもう充分に驚いてるのに、さらにお父さんから誕生日のプレゼントだあ!!!
以後、俺は二度と友人の誕生会には出ないことにした。
勿論、家族旅行などただの一度もない。
家族揃って出掛けるのは墓参りぐらいというのも寂しい限りだが、当時の一般庶民は、みんなそんなものだったんじゃないかな?
いや、違うかな、うちだけ特別? いやいや、仲良しを呼んで誕生会をやってもらって、サイダーひとケースのプレゼントまで貰えるのが特別。いや、待てよ・・・。
う~ん、わからん!
とにかく、子供にとって一番楽しいのは、何といっても正月のお年玉\(^O^)/ それと子供の日。
ただ、子供の日という名前は良いが、これといった行事は無く、楽しみは、母お手製の柏餅ぐらい。菖蒲湯にも必ず入ったが、別段楽しくはない。
そして、男4人兄弟というのに、我が家には武者人形も鯉のぼりもなかった。
「男の子のための端午の節句なのに・・・」と、いつも他の家の艶やかな鯉のぼりをうらやましく見上げていたものだ。
だから、その反動で、我が息子にはせめて武者人形ぐらいはということで毎年キチンと飾ってるというわけ。
では、お待たせしました。怪優・麿赤児のお話。
おっと、その前に、アンジェラ・アキの「武道館ライブ」。
勿論見逃していませんよ。・・・テレビでだけど・・・。
バックにドラムも何も無い、自ら弾くピアノだけのこのライブの方が、CDより遥かに良かった(^ロ^)~~♪
シンプル極まりないピアノの弾き語りは、彼女の歌を、よりシャープにし、聞く者の心に響いたと感じているのは、俺だけだろうか?
では、ここらで本当に〈まくら〉はおしまい。
恐いでしょう? 変な病気持ちみたいで、近づきたくないでしょう?
しかし、麿さんの凄さは、その外見だけはないのです。
驚くなかれ、時によっては、テントの外、つまり観客の視界からわざと外れて芝居をやるのである。
それこそ、観ていた客はビックラしたに違いない。
客の見てる前から、麿さんは普通に消えてしまうのです。
劇場の外へ出ていってしまうんですよ!? 考えられません! そんな突拍子もないことは、それまでの演劇の常識では絶対にあり得ないわけです。
でも、紅テント劇場は、普通の劇場では絶対あり得ないことが、ごく当たり前に起きるんです。
「あれ、何で消えるの?」と呆気に取られてると、やおら客席の頭上、つまりテントの上で麿さんの芝居が続いているというわけ。
かっちょイイ!!! 「ヨッ、麿っ!」って掛け声が聞こえてきそう。
で、肝心の台詞はというと、テント上の麿さんと観客を隔てているのは厚さ2ミリ程度の幕一枚だけ。だから、チャンと声は観客まで届くのである。
「街と劇場は、たった一枚の布きれでしか仕切られていない。」
このキモに気づいた時、20才そこそこの俺は、「状況劇場は日本一、いや世界一面白い。無敵の演劇集団になる」と確信したものだった。
・・・のだけれど・・・???
いずれにせよ、テント劇場という構造は、無限の可能性を孕んでいる秀逸なマジック装置であることに変りはない。
しくわぁしである、演劇は、まず「肉体」ありきだからなあ。
抜群にダイナミックで超々強力なマジック装置があっても、それだけでは駄目なんだな(+_+)
麿赤児は、麿赤児というの肉体の一番外側の皮膚の内側にしかいないんだよね。
ま、誰でも同じで、この世に唯一無二。絶対に変りは効かないんだよね。
前に「虚」と「実」の混同がいとも簡単に成立してしまっているところに、テント劇場のミソがあり、要のキモなのであると書いたけど、その分かり易いかたちが、役者が劇場から出ていってしまい、それでも芝居が成立するというところです。
土くれの舞台のあるテントの中が「虚」としたら、テントの外は街で、まぎれもない「現実」です。
そこのところを、往来するのは簡単に見えるし、誰にでも出来ます。
しかし、やりゃーいいというものではないのです。
本気でこの領域に踏み込むと危険なんです。かなり、意識が繊細にして鋭敏、かつ大胆にして強靭でないと、本当にヤバイのです。
並のセンスの持ち主では、ここに入り込んでどんなにジタバタしても奇跡は起きないし、そこでしか通用しないただのヘンテコな存在になってしまうのです。
街中でこんな格好をしても、決して下卑て見えないところが、麿さんの魅力であると思う。
「虚実の皮膜に真(まこと)有り」ってな言葉を、かの近松門左衛門という天才が残していますが、この薄皮一枚のところに、舞台や映画が、また役者がどれほどの力を発揮出来るか、人の魂を打つかどうかの肝心な基本中の基本、キモが潜んでいるのです。
このことを、20才そこそこで、実践を通して学ばせてもらったことが、役者としての俺にとって、一番大きな財産だと思っています。
この時期が、俺の「サクラ色」だったのだ!! ってか(・_・;)
俺の知ってる麿さんのぶったまげエピソードは、まだまだある。
「自転車こけた」
「ウンコ」
「もろ斬り」
「赤ん坊と山下洋輔のレコードの山」・・・等々。
ですが、ここらで一旦別の、かつての状況劇場の怪優に登場してもらうつもりでいます。
それは誰かって? そいつは次回までのお楽しみということで・・・。
でも、あくまで予定ですからね。
皆さん、今回も長々とお付き合いありがとうございました。
では、またお会いしましょう。
皆さんから寄せられたコメントは、全て目を通させてもらってます。
悪質なものは、ある程度「テニス365」の方で管理してくれているので、不愉快な思いをすることもなく済んでいます。
ここのところ、多くの方のコメントが、何故か長くなってきているので、結構読みでがあり、ホント嬉しいっす(@o@)
様々な方のコメントに、笑ったり、驚いたり、時には「うん?」と思ったり、励まされたりしてきました。
ありがとうございます!!!
これからもドシドシお寄せください(^_-)-☆
さて、もうすぐ子供の日、端午の節句です。
これは、息子が生まれてから、こどもの日の一ヶ月ぐらい前になると、毎年飾っている。
そんなこと普通だと思われるでしょうが、どっこい、俺にはそうではないのです。
俺が生まれたのは、典型的な亭主関白主義の家庭でした。
父は、家の中では常に殿様のようで、俺にとってはとてつもなく恐い存在でした。
父は、母に用事がある時いつも「オイ」か「オ~イ」としか呼んでいなかったような気がする。たまにはきちんと名前で呼びかけていたのかもしれないけれど、俺の記憶の中には殆ど残っていない。
「巨人の星」の星飛雄馬の親父じゃないけど、何か気に入らないことがあると、茶の間のデカイ丸膳をよくひっくり返していました。
何一つ文句も言わず、飛び散った飯粒やおかずを片付けていた母の沈黙の背中・・・今でもハッキリと脳裏に焼きついています。
あの頃の日本では、どこの家庭でも見られたごく普通の光景だったと思うけど、(そう思ってるのは自分だけだったりして・・・)昨今では、もう殆ど見かけなくなってしまった。
あの「戸板返し」ならぬ「お膳返し」は、当時の「日本のお父さん」の課長、じゃなくて、家長としての権威の象徴の一つであって、きっと全国の家庭において日常的な光景で、一種の流行(はやり)だったんではないだろうか?
あの懐かしの「お膳返し」は、どうやって生まれ、一体いつ頃から日本中を席巻したのだろうか?
う~ん、気になる。誰か、知っていたら教えて欲しいっ!
そんな家庭だったから、俺の子供時代の家族全員揃ってのセレモニーは、元旦のお屠蘇の順番飲み(?)が、一年を通しての最初(これは、どの家庭でも同じか・・・)のものなのだが、他のと比べると、最も格式張った重々しい儀式であった。
そして、同じ元旦のお年玉、節分の日の豆まき、春のお彼岸の墓参り、花まつり(お釈迦さま誕生日)、こどもの日、お盆の迎え火と送り火、秋のお墓参り、十五夜の月見、年末の大掃除、大晦日の歌合戦を全員揃って総見・・・、そんなものだった。
誕生日は、特別な日ではなかった。無論誕生日プレゼントももらったことはない。
小学校高学年の時、友人のI君の誕生日に呼ばれていった時のことだ。
I君は、うれしさイッパイで横に置いてあったサイダーの瓶が詰まった(多分1ダースの)木箱を指して、信じられないことを言った。
「これさあ、お父さんからのプレゼントなんだ!」
俺はビックラしちゃった(◎_◎) おどれえちゃった(◎_◎)
誕生日会を、友人を呼んで開くことでもう充分に驚いてるのに、さらにお父さんから誕生日のプレゼントだあ!!!
以後、俺は二度と友人の誕生会には出ないことにした。
勿論、家族旅行などただの一度もない。
家族揃って出掛けるのは墓参りぐらいというのも寂しい限りだが、当時の一般庶民は、みんなそんなものだったんじゃないかな?
いや、違うかな、うちだけ特別? いやいや、仲良しを呼んで誕生会をやってもらって、サイダーひとケースのプレゼントまで貰えるのが特別。いや、待てよ・・・。
う~ん、わからん!
とにかく、子供にとって一番楽しいのは、何といっても正月のお年玉\(^O^)/ それと子供の日。
ただ、子供の日という名前は良いが、これといった行事は無く、楽しみは、母お手製の柏餅ぐらい。菖蒲湯にも必ず入ったが、別段楽しくはない。
そして、男4人兄弟というのに、我が家には武者人形も鯉のぼりもなかった。
「男の子のための端午の節句なのに・・・」と、いつも他の家の艶やかな鯉のぼりをうらやましく見上げていたものだ。
だから、その反動で、我が息子にはせめて武者人形ぐらいはということで毎年キチンと飾ってるというわけ。
では、お待たせしました。怪優・麿赤児のお話。
おっと、その前に、アンジェラ・アキの「武道館ライブ」。
勿論見逃していませんよ。・・・テレビでだけど・・・。
バックにドラムも何も無い、自ら弾くピアノだけのこのライブの方が、CDより遥かに良かった(^ロ^)~~♪
シンプル極まりないピアノの弾き語りは、彼女の歌を、よりシャープにし、聞く者の心に響いたと感じているのは、俺だけだろうか?
では、ここらで本当に〈まくら〉はおしまい。
恐いでしょう? 変な病気持ちみたいで、近づきたくないでしょう?
しかし、麿さんの凄さは、その外見だけはないのです。
驚くなかれ、時によっては、テントの外、つまり観客の視界からわざと外れて芝居をやるのである。
それこそ、観ていた客はビックラしたに違いない。
客の見てる前から、麿さんは普通に消えてしまうのです。
劇場の外へ出ていってしまうんですよ!? 考えられません! そんな突拍子もないことは、それまでの演劇の常識では絶対にあり得ないわけです。
でも、紅テント劇場は、普通の劇場では絶対あり得ないことが、ごく当たり前に起きるんです。
「あれ、何で消えるの?」と呆気に取られてると、やおら客席の頭上、つまりテントの上で麿さんの芝居が続いているというわけ。
かっちょイイ!!! 「ヨッ、麿っ!」って掛け声が聞こえてきそう。
で、肝心の台詞はというと、テント上の麿さんと観客を隔てているのは厚さ2ミリ程度の幕一枚だけ。だから、チャンと声は観客まで届くのである。
「街と劇場は、たった一枚の布きれでしか仕切られていない。」
このキモに気づいた時、20才そこそこの俺は、「状況劇場は日本一、いや世界一面白い。無敵の演劇集団になる」と確信したものだった。
・・・のだけれど・・・???
いずれにせよ、テント劇場という構造は、無限の可能性を孕んでいる秀逸なマジック装置であることに変りはない。
しくわぁしである、演劇は、まず「肉体」ありきだからなあ。
抜群にダイナミックで超々強力なマジック装置があっても、それだけでは駄目なんだな(+_+)
麿赤児は、麿赤児というの肉体の一番外側の皮膚の内側にしかいないんだよね。
ま、誰でも同じで、この世に唯一無二。絶対に変りは効かないんだよね。
前に「虚」と「実」の混同がいとも簡単に成立してしまっているところに、テント劇場のミソがあり、要のキモなのであると書いたけど、その分かり易いかたちが、役者が劇場から出ていってしまい、それでも芝居が成立するというところです。
土くれの舞台のあるテントの中が「虚」としたら、テントの外は街で、まぎれもない「現実」です。
そこのところを、往来するのは簡単に見えるし、誰にでも出来ます。
しかし、やりゃーいいというものではないのです。
本気でこの領域に踏み込むと危険なんです。かなり、意識が繊細にして鋭敏、かつ大胆にして強靭でないと、本当にヤバイのです。
並のセンスの持ち主では、ここに入り込んでどんなにジタバタしても奇跡は起きないし、そこでしか通用しないただのヘンテコな存在になってしまうのです。
街中でこんな格好をしても、決して下卑て見えないところが、麿さんの魅力であると思う。
「虚実の皮膜に真(まこと)有り」ってな言葉を、かの近松門左衛門という天才が残していますが、この薄皮一枚のところに、舞台や映画が、また役者がどれほどの力を発揮出来るか、人の魂を打つかどうかの肝心な基本中の基本、キモが潜んでいるのです。
このことを、20才そこそこで、実践を通して学ばせてもらったことが、役者としての俺にとって、一番大きな財産だと思っています。
この時期が、俺の「サクラ色」だったのだ!! ってか(・_・;)
俺の知ってる麿さんのぶったまげエピソードは、まだまだある。
「自転車こけた」
「ウンコ」
「もろ斬り」
「赤ん坊と山下洋輔のレコードの山」・・・等々。
ですが、ここらで一旦別の、かつての状況劇場の怪優に登場してもらうつもりでいます。
それは誰かって? そいつは次回までのお楽しみということで・・・。
でも、あくまで予定ですからね。
皆さん、今回も長々とお付き合いありがとうございました。
では、またお会いしましょう。
異形の役者体52007年04月23日
皆さん、いかがお過ごしですか? 根津甚八です。
米国で、またもや銃乱射事件が起こった。
3、4年前に、コロンバイン高校で起きた、同じ高校の男子生徒二人による銃乱射事件を題材に、マイケル・ムーア監督が「Bowling for Columbine」という、米国の異常な銃社会を批判した傑作を撮り、ドキュメンタリー部門でヨーロッパ3大映画祭は勿論、米国アカデミー賞も受賞し、米国国内にも大きな影響を与えたと思っていたけど、アメリカの銃社会は相変わらず変っていないし、少しも懲りてないことが証明されたような気がする。
「Bowling for Columbine」に観た時、アメリカの銃社会の変革を強力に阻んでる巨大組織「全米ライフル協会」の会長が、あの「ベン・ハー」「猿の惑星」の大スター、チャールトン・ヘストンであることを知って、ショックだったしガッカリしたけど、歪んだアメリカの銃社会を斬ってゆく監督マイケル・ムーアの風体の何処にもいそうなデブッチョなただのおっさんってところが、かえってリアリティを強調して、銃社会が抱えている恐怖に震えと怒りを感じた。
若い頃憧れていたヘストンは「Bowling ・・・」公開の後、病気を理由に会長を退いたらしいが、ブッシュ大統領は、現在でも最悪な「全米ライフル協会」の永久会員だ。この事実知ってました?
これじゃ、米国の銃社会が変る希望は全く薄いよね。
今回使用された銃器は、口径9ミリと5ミリ強の2丁の拳銃。
2丁で10万円ぐらいだそうだ。
アメリカでは、拳銃は、そこらのスーパーかアウトドアスポーツショップか銃砲店へ行けば、携帯電話を購入するみたいに、その場で簡単な手続きを済ませれば、10分ぐらいで普通に手に入る。
いわゆる「キレタ」23才の男が、たった10万円で手にした武器で、あっという間に32人の命を奪った。
あまりに惨めすぎる。狂ってるのは、容疑者のチョだけじゃない、今の銃社会を改めないアメリカも狂ってると思う。
あーあ、もう哀しい話題はこれくらいで切り上げましょう!
これで気分転換。一服しましょう。
今春は、特にこれといった訳もなく、ただ無性に「桜風吹」を思いっきり浴びてみたいという強い思いでチャンスをうかがっていたら、間の悪いことにインフルエンザにやられてしまい、好機を逃してしまいました。(+_+)
ここ二十年来、風邪とは全く無縁だったので、ワクチンなんぞ俺には用はないと思っていたら、とんでもないことになってしまいました。何事に関しても、慢心は災いを呼ぶことになるということでしょうか。
満開の日をビンゴした上に、続いて「桜風吹」というのは欲のかき過ぎでバチが当たったのかもしれません。
満開の桜を眺めるのも幸せですが、散り際の「桜風吹」はもう狂うほど好きなので、本当にガックシでした。
まるで天上で音楽が奏でられているような、身体中がトロケきって液体になってしまうような・・・あの陶酔感・・・。
ええい、チキショウメッ。「桜風吹」を思いっきり浴びたかったぞぉ。
仕方ないので、梶井基次郎の「桜の樹の下には」をひっぱりだしてきて、熱にうかされながらボーッと読んでいました。
皆さんは、どうでしたか? 「桜風吹」に酔いましたか?
日本人だもん、当たり前のコンコンチキですよね。
ところで「桜風吹」といえば、生の花びらではなかったけれど、この間テレビで観たアンジェラ・アキの武道館初ライブでの「サクラ色」という新曲で舞った「桜風吹」には感動しました。
曲も勿論良かった!!!
久しぶりに人の歌で涙してしまいました。
ワシントン時代の苦しく、不遇だった頃の話や、自分が生まれてきた理由=歌うことという発見・・・etc,・・・静かな語り口で、
「私の夢をかなえてくれた皆さんのために歌いたいと思います・・・『サクラ色』・・・」
そして曲は始まりました。
♪♪♪
・・・・・・
・・・・・・
Keep on dreaming all your life
Keep on dreaming all your life
恋しくて 目を閉じれば あの頃の二人がいる
恋しくて 目を閉じれば あの頃の自分がいる
サクラ色のあなたのことを サクラ色のわたしのことを
サクラ色の時代のことを 忘れない
ずっと、ずっと、ずっと・・・
スルッと回る美しいファルセットで、♪恋しくて・・とサビに入った時です。高い高い武道館の頭上の闇から「サクラ風吹」が会場一杯に降り始めたのです。
その舞い落ちる花びらの量と速度が絶妙なニュアンスで、「これって、まさくぁ、モノホン?」と思えるほどに美しいシーンでした。
久しぶりに歌で泣いた。ポロポロと。
俺は一発でKOされてしまいましたね。
アンジェラ・アキ。
素晴らしい感動のパフォーマンスを展開してくれました。
もう大大大ファンです。
俺のお気に入り、ジョルジアーノの俺の中での存在を脅かすほどに好きになってしまったのだ。F・Jの歌声は極上に美しいけど、歌詞はわからないんで、癒されはするけど感動はしたことがない。
アンジェラ・アキの真っすぐな想いが、彼女の詩と歌い方からみてとれたから感動したんだと思う。
即、ググルって、DVD付き「サクラ色」と「Home」を購入!
毎日といっていいくらいはまってます。
モチ、こうして打ってる今も流してます。
あとは、アルバム「ONE」と「Kiss Me Good-Bye」を手に入れれば、今のところは完璧かなr(^ω^*)))
これは蛇足だけど、ライブ中継で歌詞のテロップが流れなかったのは新鮮でしたね。
よくテレビの歌番で歌詞のテロップ流すけど、カラオケルームじゃねえんだから、本人が歌ってるのに、歌詞のテロップは邪魔だ(`´メ)っつうの!
これも蛇足だけんど、ウィズアウト眼鏡アンジェラ・アキは滅茶苦茶奇麗!!!!!
何故に、いつも眼鏡顔なのか? 勿体ないな。
さてと、まくらはこのぐらいにして、異形の役者体・麿赤児の話の続編です。
といっても、脱線が長過ぎてもうこんなに書いてしまったぞ。マズイな、こりゃ。
本題に入る前に、麿さんらしくない珍しい写真をご覧ください。
これまで、奇抜なメイクと衣装にばかり話が集中していたけど、台詞回しでも凄いんです!!!
「少女都市」の終盤で、男・フランケは、喪失した夢を取り戻すために理想のアニマとして少女雪子ガラス化してしまう。妹雪子を奪回しようとする兄に向かって、烏合の衆・旧日本兵の群れを煽動し、こうアジルのだ。
『いいか皆の衆、規則正しき検便家よ。こういう手合いの人間に限って、墓場で朝まで死人とおしゃべりしてるもんである。これを、おまえらには一寸高級すぎる言葉でネクロフィリアと云う。
さて満州以来、俺はずっとこいつを尾けてきた。裏山の10人の後家の恨みを背負って、この社会の敵にチャレンジしたチャレンジャーこそ、この俺チャ。ところが皆の衆、規則正しき歯磨き粉よ。この人非人は、俺の雪子にまで手を出し始めた。俺は驚いた。びっくりしちゃった。』
俺は照明ブース(??)と客席を仕切ってあるボロボロの暗幕に設けてある小窓(というと聞こえはいいが、ただ四角に布を切り抜いただけの穴)から、やや前のめりの姿勢で、たった4台しかないスライダックを抱えるように操作しながら、もう面白くって面白くって、奇っ怪で、快活で、圧倒的な肉体・麿赤児の演技に食い入るように見入っていた。
麿さんのリズムに乗って、スライダックを回しているのが、メッチャ楽しくてしょうがなかった。この時、自分は照明の名人じゃないか?と思えてしまったものだ。
今、何処にこのような台詞を、アクチュアリティと存在感と毒をもって、エネルギッシュに、生々しく成立させられる役者がいるだろうか? 答えは、NONだ!!!!!
こうして、当時の写真を見ると、今でも十分に通用する斬新な衣装とメイクだと思う。
つまり、センスです。ズバ抜けて「格好良い」ということです。
いや、さすがに疲れてきたなあ。
なんか半端だけど、怪優・麿篇は、まだ続くということで、よろしく!
では、またお会いしましょう。
米国で、またもや銃乱射事件が起こった。
3、4年前に、コロンバイン高校で起きた、同じ高校の男子生徒二人による銃乱射事件を題材に、マイケル・ムーア監督が「Bowling for Columbine」という、米国の異常な銃社会を批判した傑作を撮り、ドキュメンタリー部門でヨーロッパ3大映画祭は勿論、米国アカデミー賞も受賞し、米国国内にも大きな影響を与えたと思っていたけど、アメリカの銃社会は相変わらず変っていないし、少しも懲りてないことが証明されたような気がする。
「Bowling for Columbine」に観た時、アメリカの銃社会の変革を強力に阻んでる巨大組織「全米ライフル協会」の会長が、あの「ベン・ハー」「猿の惑星」の大スター、チャールトン・ヘストンであることを知って、ショックだったしガッカリしたけど、歪んだアメリカの銃社会を斬ってゆく監督マイケル・ムーアの風体の何処にもいそうなデブッチョなただのおっさんってところが、かえってリアリティを強調して、銃社会が抱えている恐怖に震えと怒りを感じた。
若い頃憧れていたヘストンは「Bowling ・・・」公開の後、病気を理由に会長を退いたらしいが、ブッシュ大統領は、現在でも最悪な「全米ライフル協会」の永久会員だ。この事実知ってました?
これじゃ、米国の銃社会が変る希望は全く薄いよね。
今回使用された銃器は、口径9ミリと5ミリ強の2丁の拳銃。
2丁で10万円ぐらいだそうだ。
アメリカでは、拳銃は、そこらのスーパーかアウトドアスポーツショップか銃砲店へ行けば、携帯電話を購入するみたいに、その場で簡単な手続きを済ませれば、10分ぐらいで普通に手に入る。
いわゆる「キレタ」23才の男が、たった10万円で手にした武器で、あっという間に32人の命を奪った。
あまりに惨めすぎる。狂ってるのは、容疑者のチョだけじゃない、今の銃社会を改めないアメリカも狂ってると思う。
あーあ、もう哀しい話題はこれくらいで切り上げましょう!
これで気分転換。一服しましょう。
今春は、特にこれといった訳もなく、ただ無性に「桜風吹」を思いっきり浴びてみたいという強い思いでチャンスをうかがっていたら、間の悪いことにインフルエンザにやられてしまい、好機を逃してしまいました。(+_+)
ここ二十年来、風邪とは全く無縁だったので、ワクチンなんぞ俺には用はないと思っていたら、とんでもないことになってしまいました。何事に関しても、慢心は災いを呼ぶことになるということでしょうか。
満開の日をビンゴした上に、続いて「桜風吹」というのは欲のかき過ぎでバチが当たったのかもしれません。
満開の桜を眺めるのも幸せですが、散り際の「桜風吹」はもう狂うほど好きなので、本当にガックシでした。
まるで天上で音楽が奏でられているような、身体中がトロケきって液体になってしまうような・・・あの陶酔感・・・。
ええい、チキショウメッ。「桜風吹」を思いっきり浴びたかったぞぉ。
仕方ないので、梶井基次郎の「桜の樹の下には」をひっぱりだしてきて、熱にうかされながらボーッと読んでいました。
皆さんは、どうでしたか? 「桜風吹」に酔いましたか?
日本人だもん、当たり前のコンコンチキですよね。
ところで「桜風吹」といえば、生の花びらではなかったけれど、この間テレビで観たアンジェラ・アキの武道館初ライブでの「サクラ色」という新曲で舞った「桜風吹」には感動しました。
曲も勿論良かった!!!
久しぶりに人の歌で涙してしまいました。
ワシントン時代の苦しく、不遇だった頃の話や、自分が生まれてきた理由=歌うことという発見・・・etc,・・・静かな語り口で、
「私の夢をかなえてくれた皆さんのために歌いたいと思います・・・『サクラ色』・・・」
そして曲は始まりました。
♪♪♪
・・・・・・
・・・・・・
Keep on dreaming all your life
Keep on dreaming all your life
恋しくて 目を閉じれば あの頃の二人がいる
恋しくて 目を閉じれば あの頃の自分がいる
サクラ色のあなたのことを サクラ色のわたしのことを
サクラ色の時代のことを 忘れない
ずっと、ずっと、ずっと・・・
スルッと回る美しいファルセットで、♪恋しくて・・とサビに入った時です。高い高い武道館の頭上の闇から「サクラ風吹」が会場一杯に降り始めたのです。
その舞い落ちる花びらの量と速度が絶妙なニュアンスで、「これって、まさくぁ、モノホン?」と思えるほどに美しいシーンでした。
久しぶりに歌で泣いた。ポロポロと。
俺は一発でKOされてしまいましたね。
アンジェラ・アキ。
素晴らしい感動のパフォーマンスを展開してくれました。
もう大大大ファンです。
俺のお気に入り、ジョルジアーノの俺の中での存在を脅かすほどに好きになってしまったのだ。F・Jの歌声は極上に美しいけど、歌詞はわからないんで、癒されはするけど感動はしたことがない。
アンジェラ・アキの真っすぐな想いが、彼女の詩と歌い方からみてとれたから感動したんだと思う。
即、ググルって、DVD付き「サクラ色」と「Home」を購入!
毎日といっていいくらいはまってます。
モチ、こうして打ってる今も流してます。
あとは、アルバム「ONE」と「Kiss Me Good-Bye」を手に入れれば、今のところは完璧かなr(^ω^*)))
これは蛇足だけど、ライブ中継で歌詞のテロップが流れなかったのは新鮮でしたね。
よくテレビの歌番で歌詞のテロップ流すけど、カラオケルームじゃねえんだから、本人が歌ってるのに、歌詞のテロップは邪魔だ(`´メ)っつうの!
これも蛇足だけんど、ウィズアウト眼鏡アンジェラ・アキは滅茶苦茶奇麗!!!!!
何故に、いつも眼鏡顔なのか? 勿体ないな。
さてと、まくらはこのぐらいにして、異形の役者体・麿赤児の話の続編です。
といっても、脱線が長過ぎてもうこんなに書いてしまったぞ。マズイな、こりゃ。
本題に入る前に、麿さんらしくない珍しい写真をご覧ください。
これまで、奇抜なメイクと衣装にばかり話が集中していたけど、台詞回しでも凄いんです!!!
「少女都市」の終盤で、男・フランケは、喪失した夢を取り戻すために理想のアニマとして少女雪子ガラス化してしまう。妹雪子を奪回しようとする兄に向かって、烏合の衆・旧日本兵の群れを煽動し、こうアジルのだ。
『いいか皆の衆、規則正しき検便家よ。こういう手合いの人間に限って、墓場で朝まで死人とおしゃべりしてるもんである。これを、おまえらには一寸高級すぎる言葉でネクロフィリアと云う。
さて満州以来、俺はずっとこいつを尾けてきた。裏山の10人の後家の恨みを背負って、この社会の敵にチャレンジしたチャレンジャーこそ、この俺チャ。ところが皆の衆、規則正しき歯磨き粉よ。この人非人は、俺の雪子にまで手を出し始めた。俺は驚いた。びっくりしちゃった。』
俺は照明ブース(??)と客席を仕切ってあるボロボロの暗幕に設けてある小窓(というと聞こえはいいが、ただ四角に布を切り抜いただけの穴)から、やや前のめりの姿勢で、たった4台しかないスライダックを抱えるように操作しながら、もう面白くって面白くって、奇っ怪で、快活で、圧倒的な肉体・麿赤児の演技に食い入るように見入っていた。
麿さんのリズムに乗って、スライダックを回しているのが、メッチャ楽しくてしょうがなかった。この時、自分は照明の名人じゃないか?と思えてしまったものだ。
今、何処にこのような台詞を、アクチュアリティと存在感と毒をもって、エネルギッシュに、生々しく成立させられる役者がいるだろうか? 答えは、NONだ!!!!!
こうして、当時の写真を見ると、今でも十分に通用する斬新な衣装とメイクだと思う。
つまり、センスです。ズバ抜けて「格好良い」ということです。
いや、さすがに疲れてきたなあ。
なんか半端だけど、怪優・麿篇は、まだ続くということで、よろしく!
では、またお会いしましょう。
異形の役者体42007年04月02日
皆さん、いかがお過ごしですか? 根津甚八です。
桜がどどんと満開になりました。
春爛漫であります。
俺は1週間前から、週間天気予報の情報と、家から見える1本の桜の樹の咲き具合の観察から、3月30日に満開になると予測をたてていて、この日を、満開の桜を写真に収める日と決めていた。
まさにビンゴ!!!
桜は、やはり染井吉野でキマリですな。
黒くゴツゴツした幹や枝に淡い桃色の花を一斉に咲かせているたたずまいは、他のどんな樹とも比べ様のない美しさです。
それも、上の写真にあるようなトンネル状に立ち並んでいる桜並木の下に立って眺めると、何だか胸がザワザワっとしてきます。
予測的中で気分も浮き浮きと、友人と二人で、あらかじめ見当をつけておいた近所の桜スポットへ向かいました。なんと、この日の都内の気温は24度を超え、3月なのに夏日であった。
ベストポイントを探しながら移動していると、間もなく絶好な場所を発見。ところが、一人、女性の先客がいて撮影をしている。
じきに終わるだろうと踏んで、近くに車を停め、しばしの待機と決めこんだ。
ところが、車から降りてみて驚いた。
彼女は、何かに向かって盛んにポーズをとっている。そして、その先には、なんと三脚に据えられたビデオカメラが・・・。
この先客の女性は、満開の桜をバックに自分で自分を撮っているのである。
カメラに向かってニンマリ笑ったり、色っぽく迫ったり、桜の枝に手を伸ばしたりと、いろいろと忙しい。
暫くして橋の手すりから降りたので、やっと終わったかと思ったら、今度はポケットデジカメにチェンジ! セルフタイマーで撮り始めた。
また、手すりに腰掛けて、さっきと同じように一連のポーズを決めている。
こっちもいささか焦れてきて、真向かいの手すりから反対側の桜のトンネルを撮り始める事にした。
10数カット撮って、もう終わっただろうと振り向いたら、これがビ、ビ、ビックリ!
今度は、片手に構えた携帯に向かって笑いかけているではないか!!
正面に俺たちがいるし、周りには、桜に誘われて散歩してる人たちもかなりいる。だが、彼女はそんなことには一向にお構いなし。
完全に自分だけの世界に行ってしまっているようだ。
俺は、そろそろ場所を譲ってくれないかな?という圧力の意味で、仕方なく彼女を眺めていた。
だが、敵はマイペースである。俺は、少しイラっときた。
また、彼女の出で立ちをよく見ると、かなり短めのミニスカートに網タイツというスタイル。
「うん、許せない! 桜に失礼だろっ! 太い脚にその網タイツはやめろっ、似合わねえ! サッサと立ち去れえ!」
と、俺は胸の内で叫んでいた。
そんなこんなで、やっと撮ったのが上の写真。
今、変な奴は確実に増殖している。
しかし、帰り道にふと思った。あのしつこい撮り方は、仕事がらみかも、あるいは、ブロガーだったりして・・・。
多少イラっとしたが、いやあ、結果おかげさまで楽しい時間を過ごさせてもらったというわけだ、チャンチャン!!
さて、今や伝説となっている状況劇場・紅テントでの麿赤児の話の続編です。
当時の紅テント公演の記録は、限られた舞台写真、それらを編纂した2冊の本、演劇評論家の記事、唐さんの記述、それと大島渚監督の映画「新宿泥棒日記」に登場する紅テントぐらいしかない。
‘76年の「おちょこの傘持つメリーポピンズ」以後は、一応テント芝居の本番をビデオ録画されたものが残っている。しかし、画質も台詞も不鮮明で、出演していた俺でさえどんな芝居なのかよくわからない。現在、一般の人たちが見られるものはホントに少ない。
芝居は一夜の花火のようなものだから、こういった寂しい面もある。
また、アングラ(アンダーグラウンド)劇の先鋒であった状況劇場は反逆・反体制の象徴的存在であり、あくまで文化の傍流であって、マスメディアからまともな扱いを受けていなかったことが要因だとも思う。彼らにとっては、所詮はカウンターカルチャーの一シーンなのであったのだろう。だから資料も少ないのは当然かもしれない。
そう、そう、フランケ醜態に扮した麿さんの登場でしたね。
普通の劇場では、あんな登場の仕方は絶対にあり得ない!!!
テント劇場だからこそ可能なものである。
ここから先は、紅テントの内部が把握出来ていないと、その面白さを理解しずらいので、当時の状況劇場の芝居を観たことがない方々のために、テント劇場がどんなものだったかを知っておいていただきたい。まず、下の写真を見て下さい。
「あれからのジョン・シルバー」の本番
不鮮明で申し訳ないけれど、客席と舞台に段差がないのは確認出来ると思います。
紅テントの舞台とは、何の事はない、ただの地べたなのである。
客席はというと、舞台と同じ地べたに、工事現場などでよく見かける青シートの上にゴザを一枚重ねてあるだけで、他には何にもない。座布団などもっての他である。
入り口で渡されたビニール袋に履物を入れ、何処でも好きな所に体育座りをするという、いたって簡潔な客席なのである。
しかし、花道はあった。上の写真でいうと、左下隅あたり。
といっても、これは観客の出入りための通路であって、テントの入り口から、つまり外の空き地から地続きで舞台中央に向かって幅60センチぐらいの通路が空けてあるのである。
演じる役者たちにとっては花道だが、観客にとっては外へ通じるただの通路であるという二重構造。
このように「虚」と「実」の混同がいとも簡単にに成立してしまっているところが、テント劇場のミソであり、キモなのである。
突然ですが、ここで当時の麿さんの白塗りメイクアップ。
‘68年「由比正雪」の丸橋忠弥役のメイクの麿さん
今から40年以上前にこのメイクで芝居してたんですから、凄いの一言です。
説明が長くなってしまった。
でもって、この花道から、全身白塗りで開閉自在カーテン装備のプロテクターを纏った麿さんのフランケ醜態は登場したのである。
入り口から助走をつけたかと思うと、いきなりゴロゴロゴロっと回転しながらそのまま舞台中央へ達すると、スックと立ち上がった。
ちなみに、台本のト書きには、(フィアンセ現れる)としか書かれていない。
少女 兄さん、紹介します。ミスター・フランケ醜態さん。こちら、あたしの兄です。
フランケ (握手して)よろしく、フランケ醜態です。
と、あの生臭いダミ声に奇妙なイントネーションで、最初の台詞を発したのであった。
今回も脱線が...。
麿さんのエピソードはまだ続くのです。
では、またお会いいたしましょう。
桜がどどんと満開になりました。
春爛漫であります。
俺は1週間前から、週間天気予報の情報と、家から見える1本の桜の樹の咲き具合の観察から、3月30日に満開になると予測をたてていて、この日を、満開の桜を写真に収める日と決めていた。
まさにビンゴ!!!
桜は、やはり染井吉野でキマリですな。
黒くゴツゴツした幹や枝に淡い桃色の花を一斉に咲かせているたたずまいは、他のどんな樹とも比べ様のない美しさです。
それも、上の写真にあるようなトンネル状に立ち並んでいる桜並木の下に立って眺めると、何だか胸がザワザワっとしてきます。
予測的中で気分も浮き浮きと、友人と二人で、あらかじめ見当をつけておいた近所の桜スポットへ向かいました。なんと、この日の都内の気温は24度を超え、3月なのに夏日であった。
ベストポイントを探しながら移動していると、間もなく絶好な場所を発見。ところが、一人、女性の先客がいて撮影をしている。
じきに終わるだろうと踏んで、近くに車を停め、しばしの待機と決めこんだ。
ところが、車から降りてみて驚いた。
彼女は、何かに向かって盛んにポーズをとっている。そして、その先には、なんと三脚に据えられたビデオカメラが・・・。
この先客の女性は、満開の桜をバックに自分で自分を撮っているのである。
カメラに向かってニンマリ笑ったり、色っぽく迫ったり、桜の枝に手を伸ばしたりと、いろいろと忙しい。
暫くして橋の手すりから降りたので、やっと終わったかと思ったら、今度はポケットデジカメにチェンジ! セルフタイマーで撮り始めた。
また、手すりに腰掛けて、さっきと同じように一連のポーズを決めている。
こっちもいささか焦れてきて、真向かいの手すりから反対側の桜のトンネルを撮り始める事にした。
10数カット撮って、もう終わっただろうと振り向いたら、これがビ、ビ、ビックリ!
今度は、片手に構えた携帯に向かって笑いかけているではないか!!
正面に俺たちがいるし、周りには、桜に誘われて散歩してる人たちもかなりいる。だが、彼女はそんなことには一向にお構いなし。
完全に自分だけの世界に行ってしまっているようだ。
俺は、そろそろ場所を譲ってくれないかな?という圧力の意味で、仕方なく彼女を眺めていた。
だが、敵はマイペースである。俺は、少しイラっときた。
また、彼女の出で立ちをよく見ると、かなり短めのミニスカートに網タイツというスタイル。
「うん、許せない! 桜に失礼だろっ! 太い脚にその網タイツはやめろっ、似合わねえ! サッサと立ち去れえ!」
と、俺は胸の内で叫んでいた。
そんなこんなで、やっと撮ったのが上の写真。
今、変な奴は確実に増殖している。
しかし、帰り道にふと思った。あのしつこい撮り方は、仕事がらみかも、あるいは、ブロガーだったりして・・・。
多少イラっとしたが、いやあ、結果おかげさまで楽しい時間を過ごさせてもらったというわけだ、チャンチャン!!
さて、今や伝説となっている状況劇場・紅テントでの麿赤児の話の続編です。
当時の紅テント公演の記録は、限られた舞台写真、それらを編纂した2冊の本、演劇評論家の記事、唐さんの記述、それと大島渚監督の映画「新宿泥棒日記」に登場する紅テントぐらいしかない。
‘76年の「おちょこの傘持つメリーポピンズ」以後は、一応テント芝居の本番をビデオ録画されたものが残っている。しかし、画質も台詞も不鮮明で、出演していた俺でさえどんな芝居なのかよくわからない。現在、一般の人たちが見られるものはホントに少ない。
芝居は一夜の花火のようなものだから、こういった寂しい面もある。
また、アングラ(アンダーグラウンド)劇の先鋒であった状況劇場は反逆・反体制の象徴的存在であり、あくまで文化の傍流であって、マスメディアからまともな扱いを受けていなかったことが要因だとも思う。彼らにとっては、所詮はカウンターカルチャーの一シーンなのであったのだろう。だから資料も少ないのは当然かもしれない。
そう、そう、フランケ醜態に扮した麿さんの登場でしたね。
普通の劇場では、あんな登場の仕方は絶対にあり得ない!!!
テント劇場だからこそ可能なものである。
ここから先は、紅テントの内部が把握出来ていないと、その面白さを理解しずらいので、当時の状況劇場の芝居を観たことがない方々のために、テント劇場がどんなものだったかを知っておいていただきたい。まず、下の写真を見て下さい。
「あれからのジョン・シルバー」の本番
不鮮明で申し訳ないけれど、客席と舞台に段差がないのは確認出来ると思います。
紅テントの舞台とは、何の事はない、ただの地べたなのである。
客席はというと、舞台と同じ地べたに、工事現場などでよく見かける青シートの上にゴザを一枚重ねてあるだけで、他には何にもない。座布団などもっての他である。
入り口で渡されたビニール袋に履物を入れ、何処でも好きな所に体育座りをするという、いたって簡潔な客席なのである。
しかし、花道はあった。上の写真でいうと、左下隅あたり。
といっても、これは観客の出入りための通路であって、テントの入り口から、つまり外の空き地から地続きで舞台中央に向かって幅60センチぐらいの通路が空けてあるのである。
演じる役者たちにとっては花道だが、観客にとっては外へ通じるただの通路であるという二重構造。
このように「虚」と「実」の混同がいとも簡単にに成立してしまっているところが、テント劇場のミソであり、キモなのである。
突然ですが、ここで当時の麿さんの白塗りメイクアップ。
‘68年「由比正雪」の丸橋忠弥役のメイクの麿さん
今から40年以上前にこのメイクで芝居してたんですから、凄いの一言です。
説明が長くなってしまった。
でもって、この花道から、全身白塗りで開閉自在カーテン装備のプロテクターを纏った麿さんのフランケ醜態は登場したのである。
入り口から助走をつけたかと思うと、いきなりゴロゴロゴロっと回転しながらそのまま舞台中央へ達すると、スックと立ち上がった。
ちなみに、台本のト書きには、(フィアンセ現れる)としか書かれていない。
少女 兄さん、紹介します。ミスター・フランケ醜態さん。こちら、あたしの兄です。
フランケ (握手して)よろしく、フランケ醜態です。
と、あの生臭いダミ声に奇妙なイントネーションで、最初の台詞を発したのであった。
今回も脱線が...。
麿さんのエピソードはまだ続くのです。
では、またお会いいたしましょう。