異形の役者体92007年05月28日
皆さん、いかがお過ごしですか? 根津甚八です。
庭の姫娑羅の葉が、いつの間にか枝一杯に生い繁っていました。
これだけ繁ると、かすかなそよ風でもそれぞれの葉が受けて増幅され枝を伝わって、幹ごとユラ~リユラ~リと優雅に揺れてくれます。
その日の風の強さによって様々な表情を見せて楽しませてくれる。この「ゆらぎ」は観る者の心に安らぎを与えてくれます。
昨日は久方ぶりの大雨。そして、今日は快晴。五月晴れ、というより夏日。チョット暑過ぎです。
この五月の天気の変化はホントに目まぐるしかった。
身体が追いつきませ~ん(‥;)
今回は、珍しく早々と本題に入るのだ。
状況劇場に入団してビックラしたことを上げれば、枚挙にいとまが無いけれど、稽古場の壁の上に、剣道場のように名札がズラリと下がっていたのには奇異な印象を持った、という話は前にしましたっけ?・・・うん、したした、 したな。
それぞれの名札には右肩に小さく劇団員、準劇団員,研究生とランク分けがされていた。
ところが、シモンの札にだけは「特別劇団員」と書いてあった。オンリーワン。四谷シモンだけである。
何が特別なのか? しばらくして、その訳がわかった。
状況劇場は、原則として年中無休。一年のうち、休みは大晦日と元旦、二日の三日間だけ。
あとは、稽古があろうがなかろうが、毎日稽古場に顔を出さなければならない。研究生も劇団員も、病気以外の休みは認められない。
「日曜はダメよ」ではなく、「日曜もダメよ」である。
ところが、シモンは、年二回の本公演の稽古と本番の日以外は稽古場に滅多に顔を出さない。
稽古の当初は、一週間ほど「戯曲分析」「本読み」をやってから、「立ち稽古」といって台本を持たない稽古に入るという段取りになっているのだが、シモンは「立ち稽古」に入っても、自分の出番寸前ぐらいからやっと稽古に参加してくるのが常であった。
状況劇場は、年に春・秋の2回の公演しか行わない。
つまり、一年のうち大体8ヶ月が稽古と本番。
俺が入った頃は、残りの4ヶ月間に定期的なイベントはない。
稽古場へ行っても、特にやらなければならない事は無いわけである。だからといって、劇団員、研究生に休みはない。
芝居とは直接関係のないこと、例えば座長を囲んで車座で酒盛りとか、座長を尋ねて来たお客さんを囲んで酒宴とか、みんなで映画を観に行ったりとか、急に全員でランニングとか・・・不定期に何がしかをやったりやらなかったりでのんびり過ごしていたように思う。
そんな特にこれといってすべき事何もない日に、シモンがフラリと現れることもあった。
大概は唐さんと酒を飲みながら芝居や芸術の話題で盛り上がっていたのだろうと思う。
唐さんとシモンの間には、暗黙のうちに何か通底しているもの、信頼と似通ったものがあった風に思えた。
つまり、その辺りが「特別」であったのだろう。
そんな、ある日のことである。
狭い洋間の稽古場で、いつものようにみんなで車座になって飲んでいた。シモンも来ていて、研究生の俺も末席に控えて飲んでいた。
唐さんが、こう言い出した。
「そろそろ根津にも芸名をつけなくちゃな。何か自分で考えてるのはあるか?」
「学生の時唐さんに無断で『ジョン・シルバー』を学内上演した時にですね」
「・・・」
「当時、僕は日暮里にアパート住まいをしていたんで、『日暮里ランボー』て名乗ってました。ランは花の蘭でボーは坊主の坊です」
「そりゃ、ダメだな。昔うちに『アル中(チュウ)・ランボー』っていう役者がいたんだよ。ランボーは乱暴者の乱暴だけどな」
「あ、アル中ですか・・・」
「名字の根津を生かした方がいいんじゃないか? な、シモンちゃん?」
と唐さんが言った時のシモンの反応は早かった。
「ネエ、根津やえがきちょう(八重垣町)ってぇのはどう?」
「・・・(う~ん、やえがきちょうて、何? ちょうって町の名前じゃん)」と、心の中で困惑する俺。
「いいんじゃない、根津やえがきちょう!」
ここで唐さん。
「真田十勇士の一人に根津甚八というのがいたよな、あまり活躍しないけど・・・」
「いたねえ」と、誰か。俺もそれぐらいは知っている。ガキの頃、長兄の立川文庫の「真田十勇士」を盗み読んだことがあったのだ。
「根津甚八・・うん、いいんじゃないか。硬い感じがして・・・
ヨシ、これでいこう!」と、唐さん。
「はい。」と言うしかない俺。
こうして、翌日から俺は根津透から役者「根津甚八」となったわけである。
当時俺は21才の尻青き若造だから、「ジンパチかあ、何かおっさん臭くて嫌だなあ」というのが正直な気持ちであった。が、テント芝居のカーテンコールで、唐さんに「○○を演じましたネヅジンパチっ!」と紹介されるごとにつれて慣れていった、というより役者「甚八」になっていった。
以前ネットで自分を検索したら、芸名の由来に「舞台で真田十勇士・根津甚八を演じたから」とあったけれど、間違いですからねえ。これが命名の真実の由来です。
それにしても、シモンが言った『根津八垣町』に決まらなくて本当に良かったあ!
そうそう、シモンの十八番「お銀の唄」の二番のシモン流ギャグの話でしたね。
では、四谷シモンの登場で~す。
客席から「シモンちゃん!」の掛け声が聞こえるような気がするな。
♪♪♪ ・・・
今度は自転車屋に女中奉公
ここの旦那はヨイヨイで 間違う心配はないけれど
バカ息子のヨッちゃんが
夜な夜な フトンにもぐり込んで
どうしたの ヨッちゃん こんなに冷たい足入れてきて
あたしが いくら拒否しても
ゲタゲタ笑いのヨッちゃんは
お銀のほおずきしゃぶらせろ
お銀のほおずき どこでとれる
こんなほおずき いっぺん買って
プシュプシュ プシュプシュ つぶしてえな
冗談こくな このバカが バカにおもちゃにされるもんか
すると障子がスルリと開いて 誰かと思うたら
ヨイヨイじじい ニッパ片手にこう叫ぶじゃない
「パンクはどこじゃ パンクだせ」
いきなり お乳をつまみあげ
口にほおばって 息いれます
これはチューブじゃござんせん
ヨイヨイじいさん目の色変えて
それでも フーフー息入れます
そのうちバカのヨッちゃんと ヨイヨイじいさんがもつれ合い ほおずきかパンクかで 殴り合い
すげなく あたしは とび出して
ぞうり片手に 夜の道 トボトボトボトボどこ行くか
星に聞いても 答えやせん
シーンとふけゆく 夜の江戸
夜つゆにぬれて しみじみと
女の業の悲しさを 嬉し笑いで知ったのさ ♪♪♪
シモンはこの終盤のトボトボを、
「♪・・・トボトボトボトボ、トボトボトボトボ、トボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボ・・・
(おしまいは早すぎて何を言ってるのかわからない)・・・」
と、テンポを急にアップし始めて、超早口で30回ぐらいのリフレインする。
意味はない。意味がないことに懸命になるから面白い。
そして、歌ってる本人もそのナンセンスさに吹き出してしまうのだ。
その終盤前までを情感タップリに歌い上げてるものだから、ギャップの大きさに聞き入っている全員は腹を抱えんばかりの大笑いである。
そういえば、「吸血姫(きゅうけつき)」という芝居で、こんなことがあった。
俺の役は「肥後の守」という歌手志望の少年役で、入団2年にして初めてソロで、それも自らのギター一本の伴奏で歌うシーンがあるのだ。それも主題歌をである。
さらに唐さんは、「作曲もやってみろ」ときた。
ただしヒントをくれた。
唐さんはよく「今夜、深夜映画劇場でいいのをやるぞ」
と研究生に教えてくれることがあった。
「吸血姫」の稽古に入る直前だったか、ジュールス・ダッシンの映画「死んでもいい」をすすめられてテレビで観て感動したことがあった。
「死んでもいい」はメリナ・メルクーリとアンソニー・パーキンスとの悲恋物。原題は「フェードラ」。
暖炉の前での義母との禁じられたラブシーン。アンソニー・パーキンスが、愛に絶望しアリアを歌いながら、フェラーリで猛スピードで海岸線の道を飛ばし、そのまま海へ突っ込んでいくシーン・・・。
ギリシャ悲劇「フェードラ」を土台にしているだけあって、骨太な悲恋物で見応えがある。
また、義母・フェードラ役のギリシャの大女優メリナ・メリクーリの演技が凄い!
監督ジュールス・ダッシンの奥さんで、後にギリシャの国会議員になった。
ま、そんな豆知識れはいいとして
この「死んでもいい」のギリシャ風主題曲がまたいいのだ。
名画はいずれもそうだけど、監督も役者も美術も音楽も全ていい!
で、唐さんのヒントは、「死んでもいい」の主題曲をパクればいいということであった。
「夏の海辺にいったとき 誰も見た事もないものを見た
・ ・・・・・」
一応挑戦してはみたものの、2行で挫折。
結局、続きは小室等さんに補足して作曲してもらった。
本番を寸前に控えて、古道具屋で買った安ギターを自分で白にペイントし準備万端。
舞台での初めてのソロ。嬉しさの半面心細さもあった。
本番を2,3回終えたある日、俺は座長に呼ばれた。
「あそこさ、シモンにも出てきてもらって、二人で歌うことにするから」
自分でも気付いていた。歌はつたない上に声量がない。
テント劇場は、要するに壁も天井も布で出来ているわけだから音は殆ど反響しない。俺の歌声は後ろの客まで届いていなかったのだ。
高石かつえ役のシモンが何故か登場、肥後の守とともに歌い出す。
シモンの技量に助けられた。
すみません。本から撮ったのでシモンの鼻が消えてしまった。
でもこの時は、本当にシモンの歌の巧さに助けられたのでありました。
では今回は、このへんで失礼いたします。
また、お会いしましょう。
庭の姫娑羅の葉が、いつの間にか枝一杯に生い繁っていました。
これだけ繁ると、かすかなそよ風でもそれぞれの葉が受けて増幅され枝を伝わって、幹ごとユラ~リユラ~リと優雅に揺れてくれます。
その日の風の強さによって様々な表情を見せて楽しませてくれる。この「ゆらぎ」は観る者の心に安らぎを与えてくれます。
昨日は久方ぶりの大雨。そして、今日は快晴。五月晴れ、というより夏日。チョット暑過ぎです。
この五月の天気の変化はホントに目まぐるしかった。
身体が追いつきませ~ん(‥;)
今回は、珍しく早々と本題に入るのだ。
状況劇場に入団してビックラしたことを上げれば、枚挙にいとまが無いけれど、稽古場の壁の上に、剣道場のように名札がズラリと下がっていたのには奇異な印象を持った、という話は前にしましたっけ?・・・うん、したした、 したな。
それぞれの名札には右肩に小さく劇団員、準劇団員,研究生とランク分けがされていた。
ところが、シモンの札にだけは「特別劇団員」と書いてあった。オンリーワン。四谷シモンだけである。
何が特別なのか? しばらくして、その訳がわかった。
状況劇場は、原則として年中無休。一年のうち、休みは大晦日と元旦、二日の三日間だけ。
あとは、稽古があろうがなかろうが、毎日稽古場に顔を出さなければならない。研究生も劇団員も、病気以外の休みは認められない。
「日曜はダメよ」ではなく、「日曜もダメよ」である。
ところが、シモンは、年二回の本公演の稽古と本番の日以外は稽古場に滅多に顔を出さない。
稽古の当初は、一週間ほど「戯曲分析」「本読み」をやってから、「立ち稽古」といって台本を持たない稽古に入るという段取りになっているのだが、シモンは「立ち稽古」に入っても、自分の出番寸前ぐらいからやっと稽古に参加してくるのが常であった。
状況劇場は、年に春・秋の2回の公演しか行わない。
つまり、一年のうち大体8ヶ月が稽古と本番。
俺が入った頃は、残りの4ヶ月間に定期的なイベントはない。
稽古場へ行っても、特にやらなければならない事は無いわけである。だからといって、劇団員、研究生に休みはない。
芝居とは直接関係のないこと、例えば座長を囲んで車座で酒盛りとか、座長を尋ねて来たお客さんを囲んで酒宴とか、みんなで映画を観に行ったりとか、急に全員でランニングとか・・・不定期に何がしかをやったりやらなかったりでのんびり過ごしていたように思う。
そんな特にこれといってすべき事何もない日に、シモンがフラリと現れることもあった。
大概は唐さんと酒を飲みながら芝居や芸術の話題で盛り上がっていたのだろうと思う。
唐さんとシモンの間には、暗黙のうちに何か通底しているもの、信頼と似通ったものがあった風に思えた。
つまり、その辺りが「特別」であったのだろう。
そんな、ある日のことである。
狭い洋間の稽古場で、いつものようにみんなで車座になって飲んでいた。シモンも来ていて、研究生の俺も末席に控えて飲んでいた。
唐さんが、こう言い出した。
「そろそろ根津にも芸名をつけなくちゃな。何か自分で考えてるのはあるか?」
「学生の時唐さんに無断で『ジョン・シルバー』を学内上演した時にですね」
「・・・」
「当時、僕は日暮里にアパート住まいをしていたんで、『日暮里ランボー』て名乗ってました。ランは花の蘭でボーは坊主の坊です」
「そりゃ、ダメだな。昔うちに『アル中(チュウ)・ランボー』っていう役者がいたんだよ。ランボーは乱暴者の乱暴だけどな」
「あ、アル中ですか・・・」
「名字の根津を生かした方がいいんじゃないか? な、シモンちゃん?」
と唐さんが言った時のシモンの反応は早かった。
「ネエ、根津やえがきちょう(八重垣町)ってぇのはどう?」
「・・・(う~ん、やえがきちょうて、何? ちょうって町の名前じゃん)」と、心の中で困惑する俺。
「いいんじゃない、根津やえがきちょう!」
ここで唐さん。
「真田十勇士の一人に根津甚八というのがいたよな、あまり活躍しないけど・・・」
「いたねえ」と、誰か。俺もそれぐらいは知っている。ガキの頃、長兄の立川文庫の「真田十勇士」を盗み読んだことがあったのだ。
「根津甚八・・うん、いいんじゃないか。硬い感じがして・・・
ヨシ、これでいこう!」と、唐さん。
「はい。」と言うしかない俺。
こうして、翌日から俺は根津透から役者「根津甚八」となったわけである。
当時俺は21才の尻青き若造だから、「ジンパチかあ、何かおっさん臭くて嫌だなあ」というのが正直な気持ちであった。が、テント芝居のカーテンコールで、唐さんに「○○を演じましたネヅジンパチっ!」と紹介されるごとにつれて慣れていった、というより役者「甚八」になっていった。
以前ネットで自分を検索したら、芸名の由来に「舞台で真田十勇士・根津甚八を演じたから」とあったけれど、間違いですからねえ。これが命名の真実の由来です。
それにしても、シモンが言った『根津八垣町』に決まらなくて本当に良かったあ!
そうそう、シモンの十八番「お銀の唄」の二番のシモン流ギャグの話でしたね。
では、四谷シモンの登場で~す。
客席から「シモンちゃん!」の掛け声が聞こえるような気がするな。
♪♪♪ ・・・
今度は自転車屋に女中奉公
ここの旦那はヨイヨイで 間違う心配はないけれど
バカ息子のヨッちゃんが
夜な夜な フトンにもぐり込んで
どうしたの ヨッちゃん こんなに冷たい足入れてきて
あたしが いくら拒否しても
ゲタゲタ笑いのヨッちゃんは
お銀のほおずきしゃぶらせろ
お銀のほおずき どこでとれる
こんなほおずき いっぺん買って
プシュプシュ プシュプシュ つぶしてえな
冗談こくな このバカが バカにおもちゃにされるもんか
すると障子がスルリと開いて 誰かと思うたら
ヨイヨイじじい ニッパ片手にこう叫ぶじゃない
「パンクはどこじゃ パンクだせ」
いきなり お乳をつまみあげ
口にほおばって 息いれます
これはチューブじゃござんせん
ヨイヨイじいさん目の色変えて
それでも フーフー息入れます
そのうちバカのヨッちゃんと ヨイヨイじいさんがもつれ合い ほおずきかパンクかで 殴り合い
すげなく あたしは とび出して
ぞうり片手に 夜の道 トボトボトボトボどこ行くか
星に聞いても 答えやせん
シーンとふけゆく 夜の江戸
夜つゆにぬれて しみじみと
女の業の悲しさを 嬉し笑いで知ったのさ ♪♪♪
シモンはこの終盤のトボトボを、
「♪・・・トボトボトボトボ、トボトボトボトボ、トボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボ・・・
(おしまいは早すぎて何を言ってるのかわからない)・・・」
と、テンポを急にアップし始めて、超早口で30回ぐらいのリフレインする。
意味はない。意味がないことに懸命になるから面白い。
そして、歌ってる本人もそのナンセンスさに吹き出してしまうのだ。
その終盤前までを情感タップリに歌い上げてるものだから、ギャップの大きさに聞き入っている全員は腹を抱えんばかりの大笑いである。
そういえば、「吸血姫(きゅうけつき)」という芝居で、こんなことがあった。
俺の役は「肥後の守」という歌手志望の少年役で、入団2年にして初めてソロで、それも自らのギター一本の伴奏で歌うシーンがあるのだ。それも主題歌をである。
さらに唐さんは、「作曲もやってみろ」ときた。
ただしヒントをくれた。
唐さんはよく「今夜、深夜映画劇場でいいのをやるぞ」
と研究生に教えてくれることがあった。
「吸血姫」の稽古に入る直前だったか、ジュールス・ダッシンの映画「死んでもいい」をすすめられてテレビで観て感動したことがあった。
「死んでもいい」はメリナ・メルクーリとアンソニー・パーキンスとの悲恋物。原題は「フェードラ」。
暖炉の前での義母との禁じられたラブシーン。アンソニー・パーキンスが、愛に絶望しアリアを歌いながら、フェラーリで猛スピードで海岸線の道を飛ばし、そのまま海へ突っ込んでいくシーン・・・。
ギリシャ悲劇「フェードラ」を土台にしているだけあって、骨太な悲恋物で見応えがある。
また、義母・フェードラ役のギリシャの大女優メリナ・メリクーリの演技が凄い!
監督ジュールス・ダッシンの奥さんで、後にギリシャの国会議員になった。
ま、そんな豆知識れはいいとして
この「死んでもいい」のギリシャ風主題曲がまたいいのだ。
名画はいずれもそうだけど、監督も役者も美術も音楽も全ていい!
で、唐さんのヒントは、「死んでもいい」の主題曲をパクればいいということであった。
「夏の海辺にいったとき 誰も見た事もないものを見た
・ ・・・・・」
一応挑戦してはみたものの、2行で挫折。
結局、続きは小室等さんに補足して作曲してもらった。
本番を寸前に控えて、古道具屋で買った安ギターを自分で白にペイントし準備万端。
舞台での初めてのソロ。嬉しさの半面心細さもあった。
本番を2,3回終えたある日、俺は座長に呼ばれた。
「あそこさ、シモンにも出てきてもらって、二人で歌うことにするから」
自分でも気付いていた。歌はつたない上に声量がない。
テント劇場は、要するに壁も天井も布で出来ているわけだから音は殆ど反響しない。俺の歌声は後ろの客まで届いていなかったのだ。
高石かつえ役のシモンが何故か登場、肥後の守とともに歌い出す。
シモンの技量に助けられた。
すみません。本から撮ったのでシモンの鼻が消えてしまった。
でもこの時は、本当にシモンの歌の巧さに助けられたのでありました。
では今回は、このへんで失礼いたします。
また、お会いしましょう。
投稿者 根津甚八 17:34 | コメント(36)| トラックバック(0)
そうそう、ネットで検索すると真田十勇士が出てくるんですよね。
昔NHKの人形劇で真田十勇士を観てた時にはまだ子供で根津さんを知らなかったから気づかなかった。もっともその人形劇で覚えているのは猿飛佐助と霧隠才蔵(だったか?)だけなんですけどね。
恥ずかしながら根津さんの歌はあまり聴いたことないんですが、
「それが仕事なので~」なんて歌詞の歌ありませんでした?
ラジオで聴いて受けた覚えが…。間違っていたらごめんなさ~い!
なぜか、アンリルソーの描くジャングルを、イメージしました。
光と影が、やさしいね。
残念なことに、状況でのシモンさんを知らず、「お銀の唄」、聞いてみたかったです。
唄の歌詞は、チョイ卑猥な感じで、よくよく読んでも
意味は、よくわからず、何か哀愁が、ただよう 雰囲気・・・
歌のうまいシモンさんが、情感たっぷりに歌い上げるナンセンスギャグ、見てないけど、状況劇場のお芝居に、ずーと通じてる感じがします。
年中無休の状況劇場に、どっぷり 浸かっていらっしゃった様ですが、酒宴や、映画鑑賞と、楽しそうな職場ですネ。
もう一つ、アンソニーパーキンスってのも 懐かしい!!
中学の時 スクリーンって映画雑誌によく 登場しましたよね。
根津甚八さまの名前の由来は「そうだったんだ!」と改めて納得です。結構、色々なネット情報に流されてるな~っと
m(__)mペコリ
以前、再放送のドラマの中で根津さまが歌ってるのを見たことがあり←役柄なのかな?以外にもはにかんで歌っていたような・・
私の独り言でした(^O^)
ひょんな?検索からこちらを知り、昨年の一回目から全部読んで(読み応えたっぷり!)すっごく興奮して指震えながら文章打ってます。
中1の頃「男たちの旅路」の根津さんを見て、勝手に「おぉ!運命の人」だと思い込み(≧∇≦)もう、30年来のファンです。
泉谷さんが応援に来られたファーストコンサート(実は、その頃泉谷さんを知らなかったm( )m ゴメンナサイ)や、
今や松居棒の松居さんとの「FOOL FOR LOVE」最前列で拝見し、投げ縄迫力ありました!
(指絆創膏だらけでしたね?)
私があまり知らなかった状況時代の根津さんの奮闘ぶりや、当時怖かった「さらば愛しき大地」の裏話等々、とぉーくの存在でしかなかった根津さんが、とても身近に感じられてネットのつながりって素晴らしいものですね。
先月の話題になりますが、アンジェラ・アキさんの番組、私も観てましたっ!!
根津さんも観てたなんて・・・うぅぅ。私もピアノ弾くのですが、武道館をピアノだけで、皆を泥酔させて・・・す、すごい!
彼女の声は、清潔な透明感と力強さを兼ね揃えてて、大好きなんです。
根津さんも彼女のファンだなんて、やっぱり「運命だ」ヾ(°∇°*) オイオイ
これからも、根津さんのダイアリー楽しみにしてますね o(*^^*)o
僕が根津さんのファンになったのは、「恋人たち」「あまく危険な香り」を20年程前、再放送でやっていたのを見て以来です。特に、「恋人たち」の道太郎は高校生だった自分には、あまりにもかっこ良く、世の中にこんな人がいるんだ~と、とても衝撃的でした。以来、根津さんが渋い2枚目から、3枚目まで幅広く演じられてこられ、ずっと応援しております。また、いつの日にか、根津さんの勇士を拝見できると信じております。「恋人たち」はTVドラマ史上に残る大傑作ドラマだと信じておりますので、(DVDにならないかなあ!死ぬまでにもう一度見たい作品です)、いつか根津さんのお言葉で、当時の作品について、思い出や撮影秘話などを語って頂けたら、もう言葉にならない位の感動です。
僕も昨年、精神的に体調を崩し、現在は治癒したので、ゆっくり体調をお治しください。ずっと応援しております。
しています。
失礼ながら年齢を重ねられた根津さんの演技にしっとりと酔いしれたいと思う大人は私だけではないと思います。
陰ながら応援しています。
根津さんの、記憶力のすごさに脱帽いたします。
日記とかつけてみえるのでしょうか?
私なんて昨日食べたものも覚えてない時があります。
いけませんねぇ~
最後の、ヘドロの川に潜ったあとスローモーションであげた顔が、かっこよかったです。
こんどは、最初から観たいです。再放送しないかしら。
最後の、ヘドロの川に潜ったあとスローモーションであげた顔が、かっこよかったです。
こんどは、最初から観たいです。再放送しないかしら。
「任侠外伝~」は10日深夜3時40分(!)、15日これも深夜3時50分、26日深夜2時15分に再放送です。どれも深夜というか、もう次の日の朝ですよね。録画予約しないと観られないかも。
chikaさん、再放送の情報ありがとうございます。観れるか自信ないですが、がんばってみます。
昔の状況劇場のメンバーが次々登場する貴重な映像です。限られた人にしか見られないのが残念ですが、また何かの機会があるかもしれません。題名だけでも覚えておいてください。
唐さん、李さん、田村さん、梅軒さん、鷹さん、天竺さん(亡くなったとか?)、海江田さん、本間さん、川崎さん、御旅屋さん他昔のファンには、懐かしいです。
根津さんの、鋭く甘い表情がすてきです。
以前の劇団とはこうだったのか…と知ることが出来ました。
勉強させていただいています。
でも、しばらくお休みなんですよね。画面でもお姿みられずすっと心配していました。早くまたステキなあなたの俳優さんぶりを拝見したく思います。
お気に入り登録して時折のぞかせていただいてます
根津さんに出会い三十年がすぎました
あれほどまでに輝きを放ちながらキラキラする事を嫌がってでもいるように見えた根津さん
私の青春は根津さんと共にでした
年をとってさらに磨きのかかる数少ない人材のお一人であると期待していましたので、残念な思いでいっぱいです。いつかまた何かやりたくなるような元気を回復したら、みんなの前にあの笑顔を見せていただきたいなとささやかなお願いです。独協大の後輩として誇りに感じています。
こんなに投稿していいものかしら。。。。。
いっぱい甚八様との思い出があり過ぎて。。。
また整理して投稿しなくちゃ。。。。。。
なんで私こんなに甚八様好きなの。。。。
「黄金の日々」での笑顔、今でも脳裏から消えません。
石川五右衛門に興味を持ったのも、根津さんの演技のおかげ。
状況劇場に足を運び、あくの強い唐さんの演技に惹かれたのも全て、根津さんのおかげ。
どうぞどうぞ、俳優業を辞めるなんて殺生なことを言わずに、続けて頂きたい、もう一度見たい・・・そんなファンの願いを叶えて頂きたく・・・枯れて生きてください、枯れた演技を見せてください。故郷を遠く離れた異国の地、フランスよりお便りしますが、見上げる空は通じているもの・・・どうぞどうぞお元気で。
「黄金の日々」での笑顔、今でも脳裏から消えません。
石川五右衛門に興味を持ったのも、根津さんの演技のおかげ。
状況劇場に足を運び、あくの強い唐さんの演技に惹かれたのも全て、根津さんのおかげ。
どうぞどうぞ、俳優業を辞めるなんて殺生なことを言わずに、続けて頂きたい、もう一度見たい・・・そんなファンの願いを叶えて頂きたく・・・枯れて生きてください、枯れた演技を見せてください。故郷を遠く離れた異国の地、フランスよりお便りしますが、見上げる空は通じているもの・・・どうぞどうぞお元気で。
小学生の娘が社会の歴史を勉強してる中で当時,娘とほぼ同じ歳だった自分が熱狂した黄金の日日を一緒に再見し、甚八様の魅力に再び翻弄されてしまいました。
それからというものの当時観られなかった大人の映画、さらば愛しき大地、吉原炎上、ヌードの夜、GONIN、等を一人で時間を捻出し、家族に内緒で観まくりました。
あなた様が引退されて久しいですが、再び、その魅力を発揮していただき、私共に活力を与えて下さる様、勝手ながら期待しております。
なんだか、いつのまにか、ここまできたという感じです
30歳の根津さんが
つい
この前のように思えます
ずっと、想いつづけられていること
しあわせに思います
どうか
お身体ご自愛ください
いつか
根津さんの、何かに・・・・
どんな形かわかりませんが
作品に、逢えることを
ただ、楽しみに待っています
素敵な一日を
健やかな一年を
と、お祈りしております
お誕生日 おめでとうございます
いつの間にか
こんなに・・・年月が・・
と感じています
30歳の根津さんが
つい この前のような気がします
ずっと想いつでけられていること
幸せにおもいます
どうぞ お身体ご自愛ください
いつか
根津さんの
どんな形になるかわからないですけど
作品に逢えることを
ただただ、楽しみにしております