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根津甚八プロフィール
俳優。75年「娘たちの四季(フジテレビ)」でエランドール賞を受賞。同年「濡れた賽の目」で映画デビュー。80年黒沢明監督の「影武者」に出演。82年「さらば愛しき大地」でキネマ旬報主演男優賞、日本アカデミー賞主演男優賞受賞。85年に再び黒澤明監督の「乱」に出演し世界的評価を得る。近年は舞台を中心に精力的に活動している。
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異形の役者体9

皆さん、いかがお過ごしですか? 根津甚八です。

庭の姫娑羅の葉が、いつの間にか枝一杯に生い繁っていました。
これだけ繁ると、かすかなそよ風でもそれぞれの葉が受けて増幅され枝を伝わって、幹ごとユラ~リユラ~リと優雅に揺れてくれます。
その日の風の強さによって様々な表情を見せて楽しませてくれる。この「ゆらぎ」は観る者の心に安らぎを与えてくれます。

姫娑羅
(クリックで拡大)


何とか「ゆらぎ」を感じるようにと傾けてみました。


昨日は久方ぶりの大雨。そして、今日は快晴。五月晴れ、というより夏日。チョット暑過ぎです。
この五月の天気の変化はホントに目まぐるしかった。
身体が追いつきませ~ん(‥;)

今回は、珍しく早々と本題に入るのだ。

状況劇場に入団してビックラしたことを上げれば、枚挙にいとまが無いけれど、稽古場の壁の上に、剣道場のように名札がズラリと下がっていたのには奇異な印象を持った、という話は前にしましたっけ?・・・うん、したした、 したな。

それぞれの名札には右肩に小さく劇団員、準劇団員,研究生とランク分けがされていた。
ところが、シモンの札にだけは「特別劇団員」と書いてあった。オンリーワン。四谷シモンだけである。

何が特別なのか? しばらくして、その訳がわかった。

状況劇場は、原則として年中無休。一年のうち、休みは大晦日と元旦、二日の三日間だけ。
あとは、稽古があろうがなかろうが、毎日稽古場に顔を出さなければならない。研究生も劇団員も、病気以外の休みは認められない。
「日曜はダメよ」ではなく、「日曜もダメよ」である。

ところが、シモンは、年二回の本公演の稽古と本番の日以外は稽古場に滅多に顔を出さない。

稽古の当初は、一週間ほど「戯曲分析」「本読み」をやってから、「立ち稽古」といって台本を持たない稽古に入るという段取りになっているのだが、シモンは「立ち稽古」に入っても、自分の出番寸前ぐらいからやっと稽古に参加してくるのが常であった。

状況劇場は、年に春・秋の2回の公演しか行わない。
つまり、一年のうち大体8ヶ月が稽古と本番。
俺が入った頃は、残りの4ヶ月間に定期的なイベントはない。
稽古場へ行っても、特にやらなければならない事は無いわけである。だからといって、劇団員、研究生に休みはない。
芝居とは直接関係のないこと、例えば座長を囲んで車座で酒盛りとか、座長を尋ねて来たお客さんを囲んで酒宴とか、みんなで映画を観に行ったりとか、急に全員でランニングとか・・・不定期に何がしかをやったりやらなかったりでのんびり過ごしていたように思う。

そんな特にこれといってすべき事何もない日に、シモンがフラリと現れることもあった。
大概は唐さんと酒を飲みながら芝居や芸術の話題で盛り上がっていたのだろうと思う。
唐さんとシモンの間には、暗黙のうちに何か通底しているもの、信頼と似通ったものがあった風に思えた。

つまり、その辺りが「特別」であったのだろう。

そんな、ある日のことである。
狭い洋間の稽古場で、いつものようにみんなで車座になって飲んでいた。シモンも来ていて、研究生の俺も末席に控えて飲んでいた。
唐さんが、こう言い出した。

「そろそろ根津にも芸名をつけなくちゃな。何か自分で考えてるのはあるか?」
「学生の時唐さんに無断で『ジョン・シルバー』を学内上演した時にですね」
「・・・」
「当時、僕は日暮里にアパート住まいをしていたんで、『日暮里ランボー』て名乗ってました。ランは花の蘭でボーは坊主の坊です」
「そりゃ、ダメだな。昔うちに『アル中(チュウ)・ランボー』っていう役者がいたんだよ。ランボーは乱暴者の乱暴だけどな」
「あ、アル中ですか・・・」
「名字の根津を生かした方がいいんじゃないか? な、シモンちゃん?」

と唐さんが言った時のシモンの反応は早かった。

「ネエ、根津やえがきちょう(八重垣町)ってぇのはどう?」
「・・・(う~ん、やえがきちょうて、何? ちょうって町の名前じゃん)」と、心の中で困惑する俺。

「いいんじゃない、根津やえがきちょう!」

ここで唐さん。

「真田十勇士の一人に根津甚八というのがいたよな、あまり活躍しないけど・・・」

「いたねえ」と、誰か。俺もそれぐらいは知っている。ガキの頃、長兄の立川文庫の「真田十勇士」を盗み読んだことがあったのだ。

「根津甚八・・うん、いいんじゃないか。硬い感じがして・・・
ヨシ、これでいこう!」と、唐さん。

「はい。」と言うしかない俺。

こうして、翌日から俺は根津透から役者「根津甚八」となったわけである。

当時俺は21才の尻青き若造だから、「ジンパチかあ、何かおっさん臭くて嫌だなあ」というのが正直な気持ちであった。が、テント芝居のカーテンコールで、唐さんに「○○を演じましたネヅジンパチっ!」と紹介されるごとにつれて慣れていった、というより役者「甚八」になっていった。

以前ネットで自分を検索したら、芸名の由来に「舞台で真田十勇士・根津甚八を演じたから」とあったけれど、間違いですからねえ。これが命名の真実の由来です。

それにしても、シモンが言った『根津八垣町』に決まらなくて本当に良かったあ!

そうそう、シモンの十八番「お銀の唄」の二番のシモン流ギャグの話でしたね。

では、四谷シモンの登場で~す。

客席から「シモンちゃん!」の掛け声が聞こえるような気がするな。

♪♪♪ ・・・
今度は自転車屋に女中奉公
ここの旦那はヨイヨイで 間違う心配はないけれど
バカ息子のヨッちゃんが
夜な夜な フトンにもぐり込んで
どうしたの ヨッちゃん こんなに冷たい足入れてきて
あたしが いくら拒否しても 
ゲタゲタ笑いのヨッちゃんは
お銀のほおずきしゃぶらせろ
お銀のほおずき どこでとれる
こんなほおずき いっぺん買って
プシュプシュ プシュプシュ つぶしてえな
冗談こくな このバカが バカにおもちゃにされるもんか
すると障子がスルリと開いて 誰かと思うたら
ヨイヨイじじい ニッパ片手にこう叫ぶじゃない
「パンクはどこじゃ パンクだせ」
いきなり お乳をつまみあげ
口にほおばって 息いれます
これはチューブじゃござんせん
ヨイヨイじいさん目の色変えて
それでも フーフー息入れます
そのうちバカのヨッちゃんと ヨイヨイじいさんがもつれ合い ほおずきかパンクかで 殴り合い
すげなく あたしは とび出して
ぞうり片手に 夜の道 トボトボトボトボどこ行くか
星に聞いても 答えやせん
シーンとふけゆく 夜の江戸
夜つゆにぬれて しみじみと
女の業の悲しさを 嬉し笑いで知ったのさ ♪♪♪

シモンはこの終盤のトボトボを、
「♪・・・トボトボトボトボ、トボトボトボトボ、トボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボ・・・
(おしまいは早すぎて何を言ってるのかわからない)・・・」

と、テンポを急にアップし始めて、超早口で30回ぐらいのリフレインする。
意味はない。意味がないことに懸命になるから面白い。
そして、歌ってる本人もそのナンセンスさに吹き出してしまうのだ。
その終盤前までを情感タップリに歌い上げてるものだから、ギャップの大きさに聞き入っている全員は腹を抱えんばかりの大笑いである。

そういえば、「吸血姫(きゅうけつき)」という芝居で、こんなことがあった。

俺の役は「肥後の守」という歌手志望の少年役で、入団2年にして初めてソロで、それも自らのギター一本の伴奏で歌うシーンがあるのだ。それも主題歌をである。
さらに唐さんは、「作曲もやってみろ」ときた。
ただしヒントをくれた。
 
唐さんはよく「今夜、深夜映画劇場でいいのをやるぞ」 
と研究生に教えてくれることがあった。
「吸血姫」の稽古に入る直前だったか、ジュールス・ダッシンの映画「死んでもいい」をすすめられてテレビで観て感動したことがあった。

「死んでもいい」はメリナ・メルクーリとアンソニー・パーキンスとの悲恋物。原題は「フェードラ」。

死んでもいい
(クリックで拡大)


残念ながら、日本では出ていない。


暖炉の前での義母との禁じられたラブシーン。アンソニー・パーキンスが、愛に絶望しアリアを歌いながら、フェラーリで猛スピードで海岸線の道を飛ばし、そのまま海へ突っ込んでいくシーン・・・。

ギリシャ悲劇「フェードラ」を土台にしているだけあって、骨太な悲恋物で見応えがある。
また、義母・フェードラ役のギリシャの大女優メリナ・メリクーリの演技が凄い!
監督ジュールス・ダッシンの奥さんで、後にギリシャの国会議員になった。

ま、そんな豆知識れはいいとして

この「死んでもいい」のギリシャ風主題曲がまたいいのだ。
名画はいずれもそうだけど、監督も役者も美術も音楽も全ていい!

で、唐さんのヒントは、「死んでもいい」の主題曲をパクればいいということであった。

「夏の海辺にいったとき 誰も見た事もないものを見た

・ ・・・・・」

一応挑戦してはみたものの、2行で挫折。
結局、続きは小室等さんに補足して作曲してもらった。

本番を寸前に控えて、古道具屋で買った安ギターを自分で白にペイントし準備万端。
舞台での初めてのソロ。嬉しさの半面心細さもあった。

本番を2,3回終えたある日、俺は座長に呼ばれた。

「あそこさ、シモンにも出てきてもらって、二人で歌うことにするから」

自分でも気付いていた。歌はつたない上に声量がない。
テント劇場は、要するに壁も天井も布で出来ているわけだから音は殆ど反響しない。俺の歌声は後ろの客まで届いていなかったのだ。

高石かつえ役のシモンが何故か登場、肥後の守とともに歌い出す。
シモンの技量に助けられた。

吸血姫
(クリックで拡大)


狂った高石かつえのはオマルを被ってる。


すみません。本から撮ったのでシモンの鼻が消えてしまった。
でもこの時は、本当にシモンの歌の巧さに助けられたのでありました。

では今回は、このへんで失礼いたします。

また、お会いしましょう。
投稿者 根津甚八 17:34 | コメント(36) | トラックバック(0)
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