異形の役者体82007年05月22日
皆さん、いかがお過ごしですか? 根津甚八です。
この一週間は五月らしい爽やかな日は少なかったですねえ。
雨は降るし、ムシムシする日が多かった。
天気が悪いと、気分も多少沈みがちになります。低い気圧は脳にそんな影響を与えるらしいですよ。
土曜は朝から雨。
シットリと雨に打たれたツツジです。
と思ったら、日曜はうって変って五月晴れ。
運良く知り合いの別荘で開かれたバーベキューパーティーに呼ばれていて、ウキウキと出掛けてきました。
午前中は雲一つなく、午後になってポッカリといくつか雲が浮かんできたものの、風はそよ風、もう絶好のバーベキュー日和でありました。
ホントに気持ちのいい空だった。
ナンに手作りカレー、本格的タコス、BQでムール貝、烏賊、アスパラベーコン巻き、ハンバーグ等々・・・美味しいものをたらふく御馳走になりました(*⌒O⌒*)
さらに、おまけに本物の薬用アロマオイルでマッサージまで・・・これは、妻からだけど。
今年一番の五月晴れの大空の下で、幸せな一時を過ごしました。
集まった人たちも、みんな素朴でいい人たちばかりで、言う事無し!!!
いや、ブットンデた男が約一名いたなぁ。この人はかなり凄かった。
(でも、その話は、俺がその人が書いた凄まじい体験本を読んでからのお楽しみということにします! (◎_◎)すること、マジで請け合います。)
腹一杯食ってビールもワインもいっちゃえば、こうなるよね。
きっと天国にいるような気分なんだろうな。
実はこの坊主頭の男が、さっき言ったブットンデたスンゴイ人、ではなく俺の甥っ子で、スティールカメラマンをやってる根津修平。
彼は、一時俳優やったりして、その後フィンランドで本格的にスキーをやっていたんだけれど、俺の好きな言葉、「ひょんなこと」からカメラマンになってしまった。
ググルとカメラマンとして載ってるんだよな。ビックらしちゃったね(◎_◎)
と、マクラはこの辺で、本題へ。
そうなんです。四谷シモンは元ロカビリー歌手だったことがあるのです。
この辺りの事情や、人形との出会い、唐さんとの出会い・・・など、不良少年から人形作家への道のりは、シモンが4、5年前に出した「人形作家」という半生記的な本に詳しく書いてあるので、そちらをお読み下さい。
嵐山光三郎さんが「青春の暴風圏」と表現してるけど、読んだ後、シモンの荒波の半生を初めて知って驚いた驚いた!
身近な人のこういった話って、余計に胸に迫るものです。
俺が入団したての頃、芝居がはねた後の稽古場での宴会で、皆でよく歌を歌うことが多かった。
その中でもいつも真打ち登場ってのがシモンであった。
それは、1968年花園神社での「由比正雪」におけるシモンの役・的場のお銀の唄であった。
♪うちがマジしかった(じゃない)貧しかったので~、
小さい頃から油屋奉公
寺子屋にも通えず 年に一度のほおずき市に行けるだけ
油屋のおかみさんは いじわるで
あたしが 旦那と何かありゃしないかと
年がら年中 びくびくで
ほうき持っちゃ ジロリ ごはんよそっちゃ ジロリ
旦那の顔見ちゃ ジロリ
そんなに気にされちゃ 気がない旦那もその気になって
ある夜 お風呂の帰りのあたしをば
ゴミ箱のかげに手招いて
お銀こちゃこい 尻出せ どうだば
好きでもないのに 身をまかせ
とうとうかみさんにもバレちゃって
ある夜 風呂敷片手にもって
・・・♪♪♪
これで、まだワンコーラス。二番まであるのだ。
台本では3ページにも及ぶ。シャンソンみたいに超長い。
この唄が、稽古場の酒宴でよく聞いたシモンの十八番である。
今思い出しても、面白いし、泣けるし、ホントに良い唄だと思う。
哀しみたっぷりに切々と歌う中で、シモン流のナンセンスギャグのアドリブが入る。(そういえば、シモンは「たっぷりネ、たっぷり!」が好きだった。)
ここにさしかかると、座員一同馬鹿ウケ、シモンは、みんなが腹がよじれそうになるまで、ナンセンスギャグを「たっぷり」とやる。
そのパートは二番の後半にあるので、次回に紹介することにしましょう。
で、ある時、少しばかりギターが弾けるものだから、俺が突如シモンの唄の伴奏する羽目になった。
シモンは歌いながら、コードの指示を出す。
「♪・・・貧しかったので~、エーマイナー~、ちいさい頃から、油屋ぼ~こ~デーマイナー・・・♪♪♪・・・」
弾いてみれば何のことはない。 Am C Dm で最後迄まで伴奏できてしまった。音楽的にはシンプルそのもの。
つまり、この超ロングな歌詞のこの唄は、シモンの表現力で持っていたということの何よりの証だろう。
シモンは、かつてロカビリー歌手を目指してキチンと先生について発声法を習っていた。
そして、プロとしてライブハウスのステージもこなしていた経歴があったのだもの、素人など足元にも及ばないのは当たり前のコンコンチキだったのである。
そして、ある芝居で、ナ、ナ、ナント、春の芝居の主題曲を、俺がシモンとデュオすることになるのである。
どうなっちゃうの???
次回の続きをお楽しみに(^0^)
では、今回はこのへんで失礼します。
皆さん、またお会いしましょう。
この一週間は五月らしい爽やかな日は少なかったですねえ。
雨は降るし、ムシムシする日が多かった。
天気が悪いと、気分も多少沈みがちになります。低い気圧は脳にそんな影響を与えるらしいですよ。
土曜は朝から雨。
シットリと雨に打たれたツツジです。
と思ったら、日曜はうって変って五月晴れ。
運良く知り合いの別荘で開かれたバーベキューパーティーに呼ばれていて、ウキウキと出掛けてきました。
午前中は雲一つなく、午後になってポッカリといくつか雲が浮かんできたものの、風はそよ風、もう絶好のバーベキュー日和でありました。
ホントに気持ちのいい空だった。
ナンに手作りカレー、本格的タコス、BQでムール貝、烏賊、アスパラベーコン巻き、ハンバーグ等々・・・美味しいものをたらふく御馳走になりました(*⌒O⌒*)
さらに、おまけに本物の薬用アロマオイルでマッサージまで・・・これは、妻からだけど。
今年一番の五月晴れの大空の下で、幸せな一時を過ごしました。
集まった人たちも、みんな素朴でいい人たちばかりで、言う事無し!!!
いや、ブットンデた男が約一名いたなぁ。この人はかなり凄かった。
(でも、その話は、俺がその人が書いた凄まじい体験本を読んでからのお楽しみということにします! (◎_◎)すること、マジで請け合います。)
腹一杯食ってビールもワインもいっちゃえば、こうなるよね。
きっと天国にいるような気分なんだろうな。
実はこの坊主頭の男が、さっき言ったブットンデたスンゴイ人、ではなく俺の甥っ子で、スティールカメラマンをやってる根津修平。
彼は、一時俳優やったりして、その後フィンランドで本格的にスキーをやっていたんだけれど、俺の好きな言葉、「ひょんなこと」からカメラマンになってしまった。
ググルとカメラマンとして載ってるんだよな。ビックらしちゃったね(◎_◎)
と、マクラはこの辺で、本題へ。
そうなんです。四谷シモンは元ロカビリー歌手だったことがあるのです。
この辺りの事情や、人形との出会い、唐さんとの出会い・・・など、不良少年から人形作家への道のりは、シモンが4、5年前に出した「人形作家」という半生記的な本に詳しく書いてあるので、そちらをお読み下さい。
嵐山光三郎さんが「青春の暴風圏」と表現してるけど、読んだ後、シモンの荒波の半生を初めて知って驚いた驚いた!
身近な人のこういった話って、余計に胸に迫るものです。
俺が入団したての頃、芝居がはねた後の稽古場での宴会で、皆でよく歌を歌うことが多かった。
その中でもいつも真打ち登場ってのがシモンであった。
それは、1968年花園神社での「由比正雪」におけるシモンの役・的場のお銀の唄であった。
♪うちがマジしかった(じゃない)貧しかったので~、
小さい頃から油屋奉公
寺子屋にも通えず 年に一度のほおずき市に行けるだけ
油屋のおかみさんは いじわるで
あたしが 旦那と何かありゃしないかと
年がら年中 びくびくで
ほうき持っちゃ ジロリ ごはんよそっちゃ ジロリ
旦那の顔見ちゃ ジロリ
そんなに気にされちゃ 気がない旦那もその気になって
ある夜 お風呂の帰りのあたしをば
ゴミ箱のかげに手招いて
お銀こちゃこい 尻出せ どうだば
好きでもないのに 身をまかせ
とうとうかみさんにもバレちゃって
ある夜 風呂敷片手にもって
・・・♪♪♪
これで、まだワンコーラス。二番まであるのだ。
台本では3ページにも及ぶ。シャンソンみたいに超長い。
この唄が、稽古場の酒宴でよく聞いたシモンの十八番である。
今思い出しても、面白いし、泣けるし、ホントに良い唄だと思う。
哀しみたっぷりに切々と歌う中で、シモン流のナンセンスギャグのアドリブが入る。(そういえば、シモンは「たっぷりネ、たっぷり!」が好きだった。)
ここにさしかかると、座員一同馬鹿ウケ、シモンは、みんなが腹がよじれそうになるまで、ナンセンスギャグを「たっぷり」とやる。
そのパートは二番の後半にあるので、次回に紹介することにしましょう。
で、ある時、少しばかりギターが弾けるものだから、俺が突如シモンの唄の伴奏する羽目になった。
シモンは歌いながら、コードの指示を出す。
「♪・・・貧しかったので~、エーマイナー~、ちいさい頃から、油屋ぼ~こ~デーマイナー・・・♪♪♪・・・」
弾いてみれば何のことはない。 Am C Dm で最後迄まで伴奏できてしまった。音楽的にはシンプルそのもの。
つまり、この超ロングな歌詞のこの唄は、シモンの表現力で持っていたということの何よりの証だろう。
シモンは、かつてロカビリー歌手を目指してキチンと先生について発声法を習っていた。
そして、プロとしてライブハウスのステージもこなしていた経歴があったのだもの、素人など足元にも及ばないのは当たり前のコンコンチキだったのである。
そして、ある芝居で、ナ、ナ、ナント、春の芝居の主題曲を、俺がシモンとデュオすることになるのである。
どうなっちゃうの???
次回の続きをお楽しみに(^0^)
では、今回はこのへんで失礼します。
皆さん、またお会いしましょう。