異形の役者体32007年03月26日
皆さん、いかがお過ごしですか? 根津甚八です。
2、3日前から、朝晩の気温も上がってきましたね。
この調子でいってくれれば、今週末には、待ちに待った染井吉野の満開が見られるのではと期待しています。
桜ってホントにいいですよねえ。蕾をつけ始めのころも、チラホラと花の開き始めも、満開の時はもちろんですが、俺が最も好きなのは、その散ってゆく桜です。
満開を迎えたかと思ったら、あっという間に散ってゆく。
それも、淡いピンクの色のまま一気に散ってゆく。
その潔さに美を感じます。あの散り方。
桜風吹とはよく名付けたものだと感心してしまいます。
俺は、あんな美しい散り方をする花を、他に知りません。
それに加えてあの香り。
桜の葉の香りを嗅ぐと、もう身も心もトロケてしまいそうな夢見心地になってしまいます。
だから、当然、桜餅、道明寺、桜茶・・・etc。桜の香りのするものには目がないですねえ。
元々好い香りに弱い体質ですが、桜の香りはまた格別ですね。
そういえば、息子が生まれた日も、桜が丁度満開でした。
この子は本当に良い季節に生まれたものだ。一年に一度巡ってくる誕生日を、桜が祝ってくれる。
親であるにも関わらず羨ましく思いました。
でも、家の庭には桜は植えてありません。
桜が散ったころに花をつける「ハナカイドウ」が、楽しませてくれます。
まだこんな感じ
サクランボのように枝からぶらさがって咲くので、かすかな風にもゆらゆらと揺れる姿が可愛いらしいんです。
裏庭では、杏子の木も桜色の花を咲かせ始めてます。
また、そういえば、先週の火曜日は俺たちの結婚記念日でした。
なんと、13回目。いやあ、「光陰矢の如し」です。
家族3人と奥にいる「眠り猫」も参加
またまた、そういえば、先週の22日の「世界水泳2007メルボルン」のシンクロナイズスウィミングでソロ・フリー決勝、見てしまいました。
デデュー!!!!! 凄かったな。 完璧な演技でした。
実は以前から、その深く豊かな表現力と美貌に魅きつけられていたんです。
デデューの普通でないのは、シンクロといえばつきものの「ノーズクリップ」なしでシンクロしてしまうところですよね。
特別に訓練したわけでもなく、いつのまにかクリップなしで出来るようになったと、以前見たTVドキュメント番組で彼女自身が言ってました。
それと、振り付け上必要な飛沫以外には、演技中殆ど水しぶきを立てないところ。
「炎のゴブレット」の時のハリー・ポッターのようにエラ呼吸でもしているんじゃないかと思えるくらい、水の中を自在に舞う姿は、まさにマーメイドの化身ではと思わせる。
そのデデユーが、他を寄せ付けない圧倒的な強さで世界大会を連覇した直後引退したのに、今大会だけに限っての参戦である。
何故か?
デデューは、去年の覇者・イシェンコの演技を見て「彼女の演技は技術高いが芸術ではない。」と評していた。
要するに、あの演技でシンクロの女王などと呼ばせない。自分が築き上げた「芸術のシンクロ」こそ、真のシンクロであることを再認識させたかったのではないだろうか。彼女は、自分より8才も若い新女王・イシェンコから、女王の座を奪い返すために復帰したのだ。
2年近く休んでいて、今回のメルボルン大会までたったの4ヶ月しか練習出来なかったにも関わらず、ソプラノの大天才「マリア・カラスの生涯」をテーマに選んで登場したデデューは、驚くべきことに、以前より進化した完璧なパフォーマンスを披露してくれたのだ。
優勝が決まった瞬間、彼女は、顔を両手で覆い泣いた。
俺もテレビの前で泣いていた。
何か今回は、いきなり枕で脱線だあ。
そうです。麿さんだよ、麿さん。
でもって、やっと大怪優麿赤児(あかじ)のお話。
麿さんの特異な外見をイメージで述べるとすれば、「人間とワニとゴリラとマムシとオランウータンをかけ合わせたような妙な生き物」ということにでもなろうか。
しかし、その動きは、妖しく、優雅であり、品位があるのだ。
鈍くさいところなど微塵もないし、重苦しさとも無縁。
陽気な魔物といったらいいのだろうか。
「少女都市」で麿さんが演じたのは、フランケ醜態という奇妙な名前のガラス工場の主任。名前も普通ではないが、メイクも衣装も変っていた。中でも傑作は、そのコスチューム。
軽妙な仕掛けもあり、麿さん考案の衣装の最高傑作ではないかと、今でも思っている。
残念ながら舞台稽古の時のもの。スッピンである。
状況劇場の場合、衣装は、台本に指定がなければ、ごく一部の人を除いて、デザインも、衣装代も自前が基本。
この写真ではよく分からないと思うけど、肩に着けてるのは、アメフト用のプロテクター。これが、全身白塗りの「フランケ醜態=麿さん」に、実に似合ってた。
胸の部分には、可動式の赤いカーテンが付けてあって、ここぞという時に開いたり閉まったりするのである。
フランケ醜態のキャラクターにドンピシャで、傑作であった。
それに、登場の仕方にも、また度肝を抜かれた。あんな登場、後にも先にも見たことがない。
またぞろ、長くなってしまいました。
続きは次回とさせていただきます。
では、またお会いしましょう。
2、3日前から、朝晩の気温も上がってきましたね。
この調子でいってくれれば、今週末には、待ちに待った染井吉野の満開が見られるのではと期待しています。
桜ってホントにいいですよねえ。蕾をつけ始めのころも、チラホラと花の開き始めも、満開の時はもちろんですが、俺が最も好きなのは、その散ってゆく桜です。
満開を迎えたかと思ったら、あっという間に散ってゆく。
それも、淡いピンクの色のまま一気に散ってゆく。
その潔さに美を感じます。あの散り方。
桜風吹とはよく名付けたものだと感心してしまいます。
俺は、あんな美しい散り方をする花を、他に知りません。
それに加えてあの香り。
桜の葉の香りを嗅ぐと、もう身も心もトロケてしまいそうな夢見心地になってしまいます。
だから、当然、桜餅、道明寺、桜茶・・・etc。桜の香りのするものには目がないですねえ。
元々好い香りに弱い体質ですが、桜の香りはまた格別ですね。
そういえば、息子が生まれた日も、桜が丁度満開でした。
この子は本当に良い季節に生まれたものだ。一年に一度巡ってくる誕生日を、桜が祝ってくれる。
親であるにも関わらず羨ましく思いました。
でも、家の庭には桜は植えてありません。
桜が散ったころに花をつける「ハナカイドウ」が、楽しませてくれます。
まだこんな感じ
サクランボのように枝からぶらさがって咲くので、かすかな風にもゆらゆらと揺れる姿が可愛いらしいんです。
裏庭では、杏子の木も桜色の花を咲かせ始めてます。
また、そういえば、先週の火曜日は俺たちの結婚記念日でした。
なんと、13回目。いやあ、「光陰矢の如し」です。
家族3人と奥にいる「眠り猫」も参加
またまた、そういえば、先週の22日の「世界水泳2007メルボルン」のシンクロナイズスウィミングでソロ・フリー決勝、見てしまいました。
デデュー!!!!! 凄かったな。 完璧な演技でした。
実は以前から、その深く豊かな表現力と美貌に魅きつけられていたんです。
デデューの普通でないのは、シンクロといえばつきものの「ノーズクリップ」なしでシンクロしてしまうところですよね。
特別に訓練したわけでもなく、いつのまにかクリップなしで出来るようになったと、以前見たTVドキュメント番組で彼女自身が言ってました。
それと、振り付け上必要な飛沫以外には、演技中殆ど水しぶきを立てないところ。
「炎のゴブレット」の時のハリー・ポッターのようにエラ呼吸でもしているんじゃないかと思えるくらい、水の中を自在に舞う姿は、まさにマーメイドの化身ではと思わせる。
そのデデユーが、他を寄せ付けない圧倒的な強さで世界大会を連覇した直後引退したのに、今大会だけに限っての参戦である。
何故か?
デデューは、去年の覇者・イシェンコの演技を見て「彼女の演技は技術高いが芸術ではない。」と評していた。
要するに、あの演技でシンクロの女王などと呼ばせない。自分が築き上げた「芸術のシンクロ」こそ、真のシンクロであることを再認識させたかったのではないだろうか。彼女は、自分より8才も若い新女王・イシェンコから、女王の座を奪い返すために復帰したのだ。
2年近く休んでいて、今回のメルボルン大会までたったの4ヶ月しか練習出来なかったにも関わらず、ソプラノの大天才「マリア・カラスの生涯」をテーマに選んで登場したデデューは、驚くべきことに、以前より進化した完璧なパフォーマンスを披露してくれたのだ。
優勝が決まった瞬間、彼女は、顔を両手で覆い泣いた。
俺もテレビの前で泣いていた。
何か今回は、いきなり枕で脱線だあ。
そうです。麿さんだよ、麿さん。
でもって、やっと大怪優麿赤児(あかじ)のお話。
麿さんの特異な外見をイメージで述べるとすれば、「人間とワニとゴリラとマムシとオランウータンをかけ合わせたような妙な生き物」ということにでもなろうか。
しかし、その動きは、妖しく、優雅であり、品位があるのだ。
鈍くさいところなど微塵もないし、重苦しさとも無縁。
陽気な魔物といったらいいのだろうか。
「少女都市」で麿さんが演じたのは、フランケ醜態という奇妙な名前のガラス工場の主任。名前も普通ではないが、メイクも衣装も変っていた。中でも傑作は、そのコスチューム。
軽妙な仕掛けもあり、麿さん考案の衣装の最高傑作ではないかと、今でも思っている。
残念ながら舞台稽古の時のもの。スッピンである。
状況劇場の場合、衣装は、台本に指定がなければ、ごく一部の人を除いて、デザインも、衣装代も自前が基本。
この写真ではよく分からないと思うけど、肩に着けてるのは、アメフト用のプロテクター。これが、全身白塗りの「フランケ醜態=麿さん」に、実に似合ってた。
胸の部分には、可動式の赤いカーテンが付けてあって、ここぞという時に開いたり閉まったりするのである。
フランケ醜態のキャラクターにドンピシャで、傑作であった。
それに、登場の仕方にも、また度肝を抜かれた。あんな登場、後にも先にも見たことがない。
またぞろ、長くなってしまいました。
続きは次回とさせていただきます。
では、またお会いしましょう。
異形の役者体22007年03月19日
皆さん、いかがお過ごしですか? 根津甚八です。
冬に逆戻りしてしまったような朝晩の寒さが続く今日この頃です。
春は、どこで寄り道をしてるんでしょうか? 焦らしてくれますね。
でも,東京では、3月中に桜の満開が見られそうだといってますから、例年にない異常な早さで、春は間違いなくそこまで来ています。
街のあちこちで、様々な木々に花が咲いてるのを目にすると、自然と気分がウキウキしてきます。
「百花繚乱」というにはまだ早いかもしれませんが、冬の間じっと縮こまっていたものが徐々に開いてくるこの季節は、心地良いものです。
前回載せた、我が家の裏庭に咲いてる薄黄色の花の画像を、あれは「土佐水木」ではないかとのコメントをいただきました。
そうです!!!「土佐水木」でありんした。
おかげですっかり忘れていた木の名前を思い出しました。
ありがとうございます。
頭がボーッとしてるのは、決して陽気のせいではありません。
人の名前も、昔、感動した映画のタイトルさえ、若い頃のようにすっと出てこないことが、増えてきました。これっばかりは、逆らいようのないこと。「生。病。老。死。」です。
先週、友人と二人で、多摩堤通り沿いの桜を確認しに行ってきました。近づいてみると、4月に見る桜に比べると、花の色が少し濃い感じで、どうも、早咲きの種類で、染井吉野ではないみたいです。
先日、車から見かけたのは、この種のうちの数本だったようで、早とちりでした。・・・(チョット、チョットオ)いや、失礼仕った。
でもって、折角出掛けてきたんだからと、気の早い満開の桜の樹をバックに撮ってもらったのが、上の写真。
周りの染井吉野はまだこんな感じ。
さくらと言えば、この日の花見のメンバーは、もう一人、いや一匹いたのです。
当然何処へ行くのか何も知らない。
でも、嬉しそう。
友人から、このワンちゃんの名前が「さくら」と聞き、変な偶然にチョイ驚き!
さくらチャンはシェトランドシープドッグと柴犬のハーフ。メスの8才。雑種? いいえっ、 違います!!! れっきとしたハーフなんです。
いやあ、ついつい枕が長くなってしまいました。
でもって、前回の続き、大怪優・麿赤児(あかじ)についてのお話。
前にも書いたように、俺は、唐さんの『腰巻きお仙・特権的肉体論』を読んでインスパイヤされ、「状況劇場に入りたい、こんな芝居をやってみたい」という熱病にかかってしまったわけで、生(なま)のテント芝居を観て感動したからではなかった。
紅テントでの芝居を初めて観たのは、入団試験を受けたいと「状況」に電話したら、まずうちの芝居を一度観て、それから受けるかどうか決めなさいと人生指導(??)され、それからやっと観にいったという、実におそまつ君なのであった。
入団してから気づいたのだが、この点が、どうやら他の新人たちとは違っていた。
状況劇場に入団を希望してくる若者は、妖し気な紅テントに包まれて、予想を遥かに超えた異形の役者たちの圧倒的にエネルギッシュな芝居に魂を奪われてしまったような強烈な衝撃を受け、夢にうなされた風情で劇団の稽古場を訪れ、
「入りたいんです・・・」
と、一声。あるいは、身の回りの生活用具一式を持参して強引に入団を懇願する。いわゆる押し掛け女房ならぬ、押し掛け研究生。
そこで、見込みのありそうな、あるいは何か役に立ちそうな若者だけが入団を許されるというわけだ。
しかし、俺の場合、少し事情が違っていた。
初めてであると同時に最後となってしまった状況劇場のテント芝居を観て、最も印象に残ったのは、異形の役者たちではなく、地の底から響いて来てるようなオドロオドロしいフルートのメロディーであった。(後に、ピエール・ランパル演奏の「ハンガリー田園幻想曲」であることを知った)
何か得体の知れない恐ろしい者たちが、闇に潜んでこちらを窺っているような、暗く湿ったメロディ・・・。
今でもランパルのこの曲を聞くと、40年前の明大和泉に唐突に建っていた紅テントの光景が鮮明に蘇ってくる。
この名曲を聞いたことがない方は、是非一度聞いてみてください。ハンガリーと曲名にあるのに、日本の情緒を感じさせます。お薦めです。でも、絶対に、絶対にランパルの演奏でないと駄目ですよ。
初めて見た紅テントの風情に、子供の時に覗いた見せ物興行のテント小屋を思い出し、奇妙な郷愁を感じていた。
見てはいけないものを見てしまったような後ろめたさと、怖いもの見たさのドキドキする期待感が入り混じった甘酸っぱい懐かしさ。
やがて幕が開く。といっても、裏地もないの粗末な黒い布きれ一枚。
だが、芝居が始まってもそれ程の衝撃は受けなかった。
目の前で繰り広げられる展開は、唐さんの本を繰り返し読んでイメージしていたものを超えるものではなかったからである。
っつうのは、嘘!!
実は、観劇中の俺は、差し迫った入団試験をどうやって切り抜けるかということにイッパイイッパイで、この奇妙で妖し気な唐十朗の一党の、果たして何処に自分が入り込む余地があるのか? そんなことばかりに集中していたのだ。つまり、芝居を観賞するどころではなかったである。
この時上演されていた「腰巻きお仙・義理人情いろはにほへと篇」を、本で繰り返し読んでいて、あらかたの台詞を覚えていたこともあるだろう。
とにかく、この劇団の中に自分のようなキャラクターが立ち入る隙間があるのかどうかという、俯瞰の視点から観察(?)していたようなものだから、役者たちの演技そのものを観る余裕などなかったというところだろう。
っつうことだから、入団してから、狭い稽古場の中での役者たちのスッピンでの演技を観て、遅ればせながら仰天したのであった。
ここらで当時の麿さんの舞台写真を見せたいのだが、残念ながらない。どの状況劇場関連の本を見ても、これぞ「麿赤児」という写真は載っていないのだ。あり得ないことである。
仕方ないんでグーグルして探した。
あの頃の麿赤児をイメージ出来る唯一の画像が、これだっ!!! ワン、ツー、スリー!
当時は、同じ白塗りでももっと泥臭かった。
中でも、間近に見る麿さんの「フランケ醜態」は、かつて見たこともない演技、いや、『演技』などというそんなありふれた言葉だけでは語れない。言ってしまえば、観る者に迫ってくるのは、麿赤児という生の肉体の在り様(よう)なのだ。
まさに赤い血流が透けて見えそうに生き生きとした演技なのだ。(やはり、『演技』で語ってしまった)
あの時代において、まぎれもなく他の役者たちからズバ抜けて突出した表現者であった麿赤児という希有な役者体の演技を目の前にして、俺はもう毎日,興奮の連続であった。
また、知らぬ間にこんなに長くなってしまいました。
まだまだ麿さんの話は続くのだ。
では、またお会いいたしましょう。
冬に逆戻りしてしまったような朝晩の寒さが続く今日この頃です。
春は、どこで寄り道をしてるんでしょうか? 焦らしてくれますね。
でも,東京では、3月中に桜の満開が見られそうだといってますから、例年にない異常な早さで、春は間違いなくそこまで来ています。
街のあちこちで、様々な木々に花が咲いてるのを目にすると、自然と気分がウキウキしてきます。
「百花繚乱」というにはまだ早いかもしれませんが、冬の間じっと縮こまっていたものが徐々に開いてくるこの季節は、心地良いものです。
前回載せた、我が家の裏庭に咲いてる薄黄色の花の画像を、あれは「土佐水木」ではないかとのコメントをいただきました。
そうです!!!「土佐水木」でありんした。
おかげですっかり忘れていた木の名前を思い出しました。
ありがとうございます。
頭がボーッとしてるのは、決して陽気のせいではありません。
人の名前も、昔、感動した映画のタイトルさえ、若い頃のようにすっと出てこないことが、増えてきました。これっばかりは、逆らいようのないこと。「生。病。老。死。」です。
先週、友人と二人で、多摩堤通り沿いの桜を確認しに行ってきました。近づいてみると、4月に見る桜に比べると、花の色が少し濃い感じで、どうも、早咲きの種類で、染井吉野ではないみたいです。
先日、車から見かけたのは、この種のうちの数本だったようで、早とちりでした。・・・(チョット、チョットオ)いや、失礼仕った。
でもって、折角出掛けてきたんだからと、気の早い満開の桜の樹をバックに撮ってもらったのが、上の写真。
周りの染井吉野はまだこんな感じ。
さくらと言えば、この日の花見のメンバーは、もう一人、いや一匹いたのです。
当然何処へ行くのか何も知らない。
でも、嬉しそう。
友人から、このワンちゃんの名前が「さくら」と聞き、変な偶然にチョイ驚き!
さくらチャンはシェトランドシープドッグと柴犬のハーフ。メスの8才。雑種? いいえっ、 違います!!! れっきとしたハーフなんです。
いやあ、ついつい枕が長くなってしまいました。
でもって、前回の続き、大怪優・麿赤児(あかじ)についてのお話。
前にも書いたように、俺は、唐さんの『腰巻きお仙・特権的肉体論』を読んでインスパイヤされ、「状況劇場に入りたい、こんな芝居をやってみたい」という熱病にかかってしまったわけで、生(なま)のテント芝居を観て感動したからではなかった。
紅テントでの芝居を初めて観たのは、入団試験を受けたいと「状況」に電話したら、まずうちの芝居を一度観て、それから受けるかどうか決めなさいと人生指導(??)され、それからやっと観にいったという、実におそまつ君なのであった。
入団してから気づいたのだが、この点が、どうやら他の新人たちとは違っていた。
状況劇場に入団を希望してくる若者は、妖し気な紅テントに包まれて、予想を遥かに超えた異形の役者たちの圧倒的にエネルギッシュな芝居に魂を奪われてしまったような強烈な衝撃を受け、夢にうなされた風情で劇団の稽古場を訪れ、
「入りたいんです・・・」
と、一声。あるいは、身の回りの生活用具一式を持参して強引に入団を懇願する。いわゆる押し掛け女房ならぬ、押し掛け研究生。
そこで、見込みのありそうな、あるいは何か役に立ちそうな若者だけが入団を許されるというわけだ。
しかし、俺の場合、少し事情が違っていた。
初めてであると同時に最後となってしまった状況劇場のテント芝居を観て、最も印象に残ったのは、異形の役者たちではなく、地の底から響いて来てるようなオドロオドロしいフルートのメロディーであった。(後に、ピエール・ランパル演奏の「ハンガリー田園幻想曲」であることを知った)
何か得体の知れない恐ろしい者たちが、闇に潜んでこちらを窺っているような、暗く湿ったメロディ・・・。
今でもランパルのこの曲を聞くと、40年前の明大和泉に唐突に建っていた紅テントの光景が鮮明に蘇ってくる。
この名曲を聞いたことがない方は、是非一度聞いてみてください。ハンガリーと曲名にあるのに、日本の情緒を感じさせます。お薦めです。でも、絶対に、絶対にランパルの演奏でないと駄目ですよ。
初めて見た紅テントの風情に、子供の時に覗いた見せ物興行のテント小屋を思い出し、奇妙な郷愁を感じていた。
見てはいけないものを見てしまったような後ろめたさと、怖いもの見たさのドキドキする期待感が入り混じった甘酸っぱい懐かしさ。
やがて幕が開く。といっても、裏地もないの粗末な黒い布きれ一枚。
だが、芝居が始まってもそれ程の衝撃は受けなかった。
目の前で繰り広げられる展開は、唐さんの本を繰り返し読んでイメージしていたものを超えるものではなかったからである。
っつうのは、嘘!!
実は、観劇中の俺は、差し迫った入団試験をどうやって切り抜けるかということにイッパイイッパイで、この奇妙で妖し気な唐十朗の一党の、果たして何処に自分が入り込む余地があるのか? そんなことばかりに集中していたのだ。つまり、芝居を観賞するどころではなかったである。
この時上演されていた「腰巻きお仙・義理人情いろはにほへと篇」を、本で繰り返し読んでいて、あらかたの台詞を覚えていたこともあるだろう。
とにかく、この劇団の中に自分のようなキャラクターが立ち入る隙間があるのかどうかという、俯瞰の視点から観察(?)していたようなものだから、役者たちの演技そのものを観る余裕などなかったというところだろう。
っつうことだから、入団してから、狭い稽古場の中での役者たちのスッピンでの演技を観て、遅ればせながら仰天したのであった。
ここらで当時の麿さんの舞台写真を見せたいのだが、残念ながらない。どの状況劇場関連の本を見ても、これぞ「麿赤児」という写真は載っていないのだ。あり得ないことである。
仕方ないんでグーグルして探した。
あの頃の麿赤児をイメージ出来る唯一の画像が、これだっ!!! ワン、ツー、スリー!
当時は、同じ白塗りでももっと泥臭かった。
中でも、間近に見る麿さんの「フランケ醜態」は、かつて見たこともない演技、いや、『演技』などというそんなありふれた言葉だけでは語れない。言ってしまえば、観る者に迫ってくるのは、麿赤児という生の肉体の在り様(よう)なのだ。
まさに赤い血流が透けて見えそうに生き生きとした演技なのだ。(やはり、『演技』で語ってしまった)
あの時代において、まぎれもなく他の役者たちからズバ抜けて突出した表現者であった麿赤児という希有な役者体の演技を目の前にして、俺はもう毎日,興奮の連続であった。
また、知らぬ間にこんなに長くなってしまいました。
まだまだ麿さんの話は続くのだ。
では、またお会いいたしましょう。
異形の役者体2007年03月05日
皆さん、いかがお過ごしですか?
ちょいとご無沙汰してしまいました。
朝晩はまだ少し寒さを感じますが、日中はもうすっかり春の陽気ですね。日照時間も長くなってきて、気分もちょっぴりウキウキしてきますね。
家の裏庭では???の木が、薄黄色の可愛い花を、枝いっぱいに咲かせています。
一昨日、多摩堤通りを通ったら、もう何本もの桜の木が花をつけ始めていて、驚きでした。
もう完璧に春です。でも、俺のまわりでは風邪をひいてる人が結構います。
異常暖冬の影響でしょうか、ここんとこ昼夜の寒暖のギャップが激しいので、皆さんも体調管理にご注意あれ!
今回は、久しぶりに状況劇場に入団した頃のエピソードを紹介することにします。
以前にも話したように、俺が入団した時、状況劇場は「少女都市」という芝居の稽古の真っ最中であった。
「俺は、憧れの唐十朗が主宰する『状況劇場』の一員に、本当になったんだ」
と自ら喜びを噛み締めながら、十畳あまりの洋間の隅で、両膝を抱えるようにして、眼前3、4メートルで繰り広げられる怪優・奇優たちの演技にただただ圧倒されつつ、毎日食い入るように観ていた。
そりゃ、毎日が夢の中いるような日々でしたね。
当時の状況劇場の役者の中で、俺がまず衝撃を受けたのは、麿赤児(あかじ)であり、四谷シモン、唐十朗、大久保鷹、李礼仙、そして不破万作。
中でも、麿さんのその圧倒的な異形の存在感の塊とでもいうか、得体の知れないヒトに似た生き物とでも言ったらいいのだろうか・・・。
とにかく、かつて見たことの無い役者体を間近に、ブッタマゲタの連続であった。
麿さんが登場すると同時に、もの凄い速度と破壊力で、観ている者の日常はものの見事に打ち砕いてしまうのだ。
とは言っても、時に悲哀と愛嬌もかいま見せる。
恐ろし気でも、汚くない。オドロオドロしてはいるが、何処か少し抜けてる風でもある。」
決して指名手配者ではありません。
この時被ってるハットは、恐らくスキンヘッドを守るためのもの。
1960年代でスキンヘッドというヘアースタイル(ん?)をしてる若者(ん、ん?)は、寺のお坊さんぐらいしかいなかった。
いや、そうだ、ユル・ブリンナーというスキンヘッドが売り物のハリウッドスターがいたなあ。いやあ、懐かしの大スターを思い出しちまった。
格好良かったなあ、ユル・ブリンナー・・・「王様と私」、「荒野の七人」(黒澤明監督の名作・『七人の侍』をパクった西部劇。彼は、志村喬が演られた「勘兵衛」の役所であった)、「隊長ブリーバ」・・・。
ところで、普段の麿さんは、あっさりとしたいい人だが、時に、とんでもない悪戯をしかけられたことがある。
少女都市のカーテンコール。中が麿さん
本番の芝居がはねた後、稽古場への帰りには必ず、劇団員全員で銭湯で汗を流すのが慣例であった。
俺はからんの前に腰掛けて、気持ちも伸びやかに髪を洗っていた。
すると、俺の左肩をトントンと叩く奴がいる。
「誰だよう、こんな時に・・・」
と、後ろを振り向いたその目に飛び込んできたものは、
「ひぇっ???」
な、な、何と、ち○ぽの先っちょであった!!!!!
驚いて見上げると、麿さんがエヘラ顔で自分のち○ぽを指先でつまんでぶらぶらさせてるのでった。
子供の頃、よく友達の後ろから肩を叩いて、相手の振り向きざまに、人差し指で頬をつついて面白がる、あれです。いや、あれの「ち○ぽ」バージョンです。
外見は厳つい感じだけど、そんな悪戯をしても、全く憎めないすっごい良い人なんですよね、麿さんって。
状況劇場にいた9年間、「えっ」と驚くことはまだまだ山程あるけれど、今回はここまでといたしましょう。
では、またの機会にお会いしましょう。
ちょいとご無沙汰してしまいました。
朝晩はまだ少し寒さを感じますが、日中はもうすっかり春の陽気ですね。日照時間も長くなってきて、気分もちょっぴりウキウキしてきますね。
家の裏庭では???の木が、薄黄色の可愛い花を、枝いっぱいに咲かせています。
一昨日、多摩堤通りを通ったら、もう何本もの桜の木が花をつけ始めていて、驚きでした。
もう完璧に春です。でも、俺のまわりでは風邪をひいてる人が結構います。
異常暖冬の影響でしょうか、ここんとこ昼夜の寒暖のギャップが激しいので、皆さんも体調管理にご注意あれ!
今回は、久しぶりに状況劇場に入団した頃のエピソードを紹介することにします。
以前にも話したように、俺が入団した時、状況劇場は「少女都市」という芝居の稽古の真っ最中であった。
「俺は、憧れの唐十朗が主宰する『状況劇場』の一員に、本当になったんだ」
と自ら喜びを噛み締めながら、十畳あまりの洋間の隅で、両膝を抱えるようにして、眼前3、4メートルで繰り広げられる怪優・奇優たちの演技にただただ圧倒されつつ、毎日食い入るように観ていた。
そりゃ、毎日が夢の中いるような日々でしたね。
当時の状況劇場の役者の中で、俺がまず衝撃を受けたのは、麿赤児(あかじ)であり、四谷シモン、唐十朗、大久保鷹、李礼仙、そして不破万作。
中でも、麿さんのその圧倒的な異形の存在感の塊とでもいうか、得体の知れないヒトに似た生き物とでも言ったらいいのだろうか・・・。
とにかく、かつて見たことの無い役者体を間近に、ブッタマゲタの連続であった。
麿さんが登場すると同時に、もの凄い速度と破壊力で、観ている者の日常はものの見事に打ち砕いてしまうのだ。
とは言っても、時に悲哀と愛嬌もかいま見せる。
恐ろし気でも、汚くない。オドロオドロしてはいるが、何処か少し抜けてる風でもある。」
決して指名手配者ではありません。
この時被ってるハットは、恐らくスキンヘッドを守るためのもの。
1960年代でスキンヘッドというヘアースタイル(ん?)をしてる若者(ん、ん?)は、寺のお坊さんぐらいしかいなかった。
いや、そうだ、ユル・ブリンナーというスキンヘッドが売り物のハリウッドスターがいたなあ。いやあ、懐かしの大スターを思い出しちまった。
格好良かったなあ、ユル・ブリンナー・・・「王様と私」、「荒野の七人」(黒澤明監督の名作・『七人の侍』をパクった西部劇。彼は、志村喬が演られた「勘兵衛」の役所であった)、「隊長ブリーバ」・・・。
ところで、普段の麿さんは、あっさりとしたいい人だが、時に、とんでもない悪戯をしかけられたことがある。
少女都市のカーテンコール。中が麿さん
本番の芝居がはねた後、稽古場への帰りには必ず、劇団員全員で銭湯で汗を流すのが慣例であった。
俺はからんの前に腰掛けて、気持ちも伸びやかに髪を洗っていた。
すると、俺の左肩をトントンと叩く奴がいる。
「誰だよう、こんな時に・・・」
と、後ろを振り向いたその目に飛び込んできたものは、
「ひぇっ???」
な、な、何と、ち○ぽの先っちょであった!!!!!
驚いて見上げると、麿さんがエヘラ顔で自分のち○ぽを指先でつまんでぶらぶらさせてるのでった。
子供の頃、よく友達の後ろから肩を叩いて、相手の振り向きざまに、人差し指で頬をつついて面白がる、あれです。いや、あれの「ち○ぽ」バージョンです。
外見は厳つい感じだけど、そんな悪戯をしても、全く憎めないすっごい良い人なんですよね、麿さんって。
状況劇場にいた9年間、「えっ」と驚くことはまだまだ山程あるけれど、今回はここまでといたしましょう。
では、またの機会にお会いしましょう。