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根津甚八プロフィール
俳優。75年「娘たちの四季(フジテレビ)」でエランドール賞を受賞。同年「濡れた賽の目」で映画デビュー。80年黒沢明監督の「影武者」に出演。82年「さらば愛しき大地」でキネマ旬報主演男優賞、日本アカデミー賞主演男優賞受賞。85年に再び黒澤明監督の「乱」に出演し世界的評価を得る。近年は舞台を中心に精力的に活動している。
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永らくご無沙汰しておりました

皆さん、いかがお過ごしですか? 根津甚八です。

永らくご無沙汰しておりました。
ブログを休んでいたことで、皆様にはご心配をかけてしまいました。
申し訳ありません。

その間、たくさんのメッセージをありがとうございました。
コメントのひとつひとつに、心から感謝しています。

妻の怪我を機に、あれこれ自分を振り返り、考えていました。

去年の12月に還暦を迎えました。
60歳になった今、思うところあって、これからの生き方を模索しています。

今しばらく、じっくり考える時間、充電する時間をいただきたいと考えています。

というわけで、このブログも一旦お休みさせてください。

今より一回り大きくなって、皆様にお目にかかりたいと思います。

それまで、どうぞお元気で。
感謝をこめて。
投稿者 根津甚八 14:19 | コメント(496) | トラックバック(0)

アクシデント

皆さん、いかがお過ごしでしょうか? 根津甚八です。

お久しぶりです。

実は、妻が骨折いたしました。手術、入院。その影響で色々と身辺がばたつき、一ヶ月間、更新することが出来ずにいました。
やっと、この間、妻が退院、我が家に戻ってきました。
しかし、折った左脚にはまだ「ゼロ過重」のため、松葉杖での日々です。



まだしばらくは、本格的なブログの更新は出来ないかもしれませんが、ご理解をいただきたいと思います。

皆様から寄せられた暖かいお気遣いに、心より感謝しております。

また、お会いいたしましょう。
投稿者 根津甚八 12:44 | コメント(210) | トラックバック(0)

ペイントにはまるⅡ

皆さん、いかがお過ごしですか? 根津甚八です。

先週、妻が近所で頂いたクチナシの花を玄関の器に生けたもの、ちょっと絵になっていたので撮ってみました。

クチナシ
(クリックで拡大)


現在の玄関正面の壁。


以前玄関の正面の壁に施した赤は、かなりのインパクトあったようで、我が家を訪れて気づいた人は皆一応に「お~っ」と声をあげていました。でも、玄関のドアを開けて真っ正面にあるのに、まるで気づかない人も意外に多くいました。いや、気づいていても口にしなかったのかもしれませんね。
俺は、この赤は多いに悦に入っていて、玄関に立つと、ついつい眺め入ってしまうほどでした。

しかし、ペイントによるリフォームはここでは終わらなかったのです。

こうして色のある空間に包まれる魅力にハマり、次に気になりだしたのが、リビングルームです。
無意識に子供部屋や玄関とどうしても比較してしまっているらしく、白っぽいリビングルームがだんだん殺風景に感じてきたのです。

リトグラフ
(クリックで拡大)


やはり、この白は味気ない。


とうとうリビングルームの壁、それも一番広くてビッシリと9枚のリトグラフが飾ってある一面を塗ることにしたのです。

ヨーロッパの画廊などで絵画の飾ってある壁に赤が多いのを見て、玄関の「BLAZER」よりさらに赤味の強い「RECTORY RED」を塗ることに決定。

居間赤壁
(クリックで拡大)


小さな画廊みたい。


リビングに赤を持って来た関係で、玄関には赤系を避けイェロー系の「BABOUCHE」を施すことにした。
この時も“カラーワークス”のスタッフに来てもらい、半日で作業を終えました。

リビングルームの壁の一面を塗り終えてみると、ソファ、キャビネット、絨毯とのコンビネーションも良く、何よりも9枚のリトグラフが以前よりグンと映えて見え、まるでギャラリーみたいで、大満足であった。

ところが、またしばらくして、今度は居間の壁と天井の白っぽさに、何か間が抜けているように感じを抱きだした。
引っ越してから10年、天井の壁紙の上にはみ出した糊が、あちこちでコーヒー色に変色してしまっていて汚らしいのだ。これに気づいたらもう気になってしょうがない。

思い切ってリビングの天井と残りの壁をペイントリフォームで一新することに。

主役の赤い壁に合わせて、まずは色の選定。
F&Bのカラーチャートと一週間にらめっこして、3種類チョイスして、 A4判の色板を“カラーワークス”に作ってもらい、それらを天井やら壁の陽当たりの異なるところに張って比較検討し、あれこれ迷った上(実は、この段階が結構楽しいのだ。色が決まってしまえば70%終わったようなものですからね。)、天井のトップは「OFF WHITE」、壁と折り上げ天井部は「RIGHT STONE」に決めた。

そんな頃、例のS井さんから携帯電話

「あのさ、真面目で仕事が出来そうなペイント職人をスカウトしたんだよ。俺も勉強がてら手伝いに行くから、彼にやらせてみなよ」

と、半ば押し切られるようにペインターも決定。

作業日は好天に恵まれ、作業開始。今回は、リビングの天井と壁全面だから、大きな家具を移動したり、広い床などにペイントがかからように「養生」したりの作業に多少時間がかかった。

さて、昼食を挟んで、いよいよローラーでペイントにかかろうかと思ったら、助っ人で来てるはずのS井さん、なななんと、ど真ん中のソファで昼寝をこいてるではないか。

昼寝
(クリックで拡大)


何処でも眠れる男。


作業
(クリックで拡大)


でも20分後にはちゃんと塗っていた。


見ていたら俺にも出来そうな気がしてきて、一回目を塗らせてもらってみた。




ポタポタ垂れることもないし、塗りムラも出来ず、素人でもぜ~んぜ~ん平気でした。ちょっと子供に戻ったみたいな気分で楽しい楽しい!!!

職人さんの仕上げの二度塗りが乾き、家具を元に戻し、全作業を終えたのは夕方の5時。
匂いもないので、そのまま全員で楽しく夕食を済ませて解散!

居間After
(クリックで別ウィンドウ表示)


写真では単なるベージュに写ってしまうなあ。


写真には非常に映し込みにくい、非常に微妙な色調な色なので皆さんにこの色の魅力を映像で伝えられないのが残念です。

その日の天候のよって、また時間帯によって光量によって、折り上げ天井の凹凸にから、張り、そして北側の壁へと、明るく落ち着きのあるベージュからかすかに薄緑の絹がかかったようなトーンから、抹茶の粉末をかけたような色へと様々な表情を見せてくれます。
夜はまた、昼間とは別の表情をみせてくれる。

まるでまっさらな漆喰を施したような落ち着いた仕上がりに、大満足でありました。

ちなみに“COLORWORKS”のHPに私のお薦めのペイントが「Jinpachiセレクト」として紹介されています。

今回も芝居や映画とは、離れてしまいました。

次回に、ご期待を!

では、またお会いしましょう。
投稿者 根津甚八 18:14 | コメント(46) | トラックバック(0)

ペイントにハマる

皆さん、いかがお過ごしですか? 根津甚八です。

ツツジの花弁がちらほら萎み始めたなと思ったら、そこら中でもう紫陽花が咲き始めています。
梅雨入りも近いですね。

紫陽花
(クリックで拡大)


近所で見かけた鮮やかな紫陽花。


早いものでもう6月。一年の半分が過ぎようとしています。
今回は、四谷シモンのネタからちょいと離れて、我が家でのマイブーム、ペイントの魅力にハマった経緯を御披露しようと思います。

そもそもペイントとの出会いは、今から8年前に現在のマンションを購入したことがきっかけでした。

引っ越す前に、床暖房、キッチンとダイニングの間の壁をくり抜いてカウンター設置、さらに全ての部屋の壁紙の張り替え等のリニューアルを施した。
そして新しい家での生活が始まったわけだけれど、一点だけ気になっていたことがあった。それは、当時3才の息子の部屋の壁の色である。

仕事の合間に妻と相談し合ってバタバタとあれこれ決めたものだから、子供部屋の壁紙も、リビングルームと同じ薄いベージュにしてあった。しかし窓も小さく西向きの子供部屋は、無機質で冷たい印象のする空間になってしまっていた。
マンションだから窓を広げて光を取り込む事は不可能。
この頃、白い壁の部屋で育った子供は「キレ易い」という新聞記事を読んだことも引き金にもなり、部屋に色を加えればいいのではということになった。
しかし、部屋に色をといっても、実際何処から手をつけていいのかさっぱり分からない。

こういう時、いつも頼りになる友人がいる。
彼は元バイク屋で今は木工専門家。DIYの月刊誌「ドゥーパ」にもよく登場する、俺の釣友であり親友のS井さんだ。

家にチョットした物が必要になることがある。しかし、家具屋には置いていないサイズでオーダーしないと手に入らない。こういう時、まずS井さんに携帯電話を入れる。しばらくすると特注品の物が仕上がってくる。とにかく仕事がメチャメチャ早い!
今迄に作ってもらった物は、駐車除けの柵、腹話術用の足置き台、ベッドサイドチェスト、サラウンドスピーカー用スタンド、等々。さらに今、パソコンデスクに合わせたサイドチェストをオーダー中。

S井さんの特異なキャラクターは、拙著「一万回のキャスティング」に嫌という程書いたのでここではとばすことにする。

とにかく「困った時のS井さん」に、子供部屋の問題を相談したら、彼も使っている輸入ペイントを扱っている“カラーワークス”というところを紹介をしてくれた。
早速、そこのスタッフに子供部屋を見てもらい、具体的なアドバイスを受けた。
カラーワークス”で扱ってるペイントは壁紙の上に直接塗れる水性ペイントで、その色の種類の多さと色調の良さに吃驚したが、有害な揮発性化学物質が含まれておらず、アレルギーを持ってる子供にも安全であるということにも驚かされた。

メインカラーはミントグリーンと決めていたので、キャビネット、ドア、クローゼットの扉などのカラーコーディネイトを提案してもらい、全ての色を決定。

子供部屋前
(クリックで別ウィンドウ表示)


ペイント前の状態

今こうして見ると、ホントに味気ない。

子供チェスト
(クリックで別ウィンドウ表示)


アドリブで塗ってもらったチェスト。

中には本がギッシリつまっている。


病院の一室のようだった子供部屋は、ミントグリーンをメインカラーにブルーとクリーム色の男の子っぽいカラフルな明るい部屋に一変したのである。

子供部屋後&かいと
(クリックで別ウィンドウ表示)


左端で当時3才の息子が不思議そうに壁を見つめてる。


これに気を良くした私と妻は、「玄関を入った正面の壁にも、色が欲しいね」ということで、“カラーワークス”に色の選択などの相談に乗ってもらい、ファロー&ボールの「BLAZER」を一面に塗ってもらった。
これが、家を尋ねてくるお客さんたちに大好評!

玄関前(白)
(クリックで拡大)


写真ではクリーム色だが、実際は生成りの白壁だった。

玄関後(赤)
(クリックで拡大)


訪れる人は、皆絶賛してくれた!


こうして色に包まれる魅力にハマっていき、とうとうリビングルームの壁、それも一番広くてビッシリと9枚のリトグラフが飾ってある一面を塗ることにした。

しかし、ペイントによるリフォームはここでは終わらなかった。

続きは、また次回とさせていただきます。

では、またお会いしましょう。
投稿者 根津甚八 14:53 | コメント(16) | トラックバック(0)

異形の役者体9

皆さん、いかがお過ごしですか? 根津甚八です。

庭の姫娑羅の葉が、いつの間にか枝一杯に生い繁っていました。
これだけ繁ると、かすかなそよ風でもそれぞれの葉が受けて増幅され枝を伝わって、幹ごとユラ~リユラ~リと優雅に揺れてくれます。
その日の風の強さによって様々な表情を見せて楽しませてくれる。この「ゆらぎ」は観る者の心に安らぎを与えてくれます。

姫娑羅
(クリックで拡大)


何とか「ゆらぎ」を感じるようにと傾けてみました。


昨日は久方ぶりの大雨。そして、今日は快晴。五月晴れ、というより夏日。チョット暑過ぎです。
この五月の天気の変化はホントに目まぐるしかった。
身体が追いつきませ~ん(‥;)

今回は、珍しく早々と本題に入るのだ。

状況劇場に入団してビックラしたことを上げれば、枚挙にいとまが無いけれど、稽古場の壁の上に、剣道場のように名札がズラリと下がっていたのには奇異な印象を持った、という話は前にしましたっけ?・・・うん、したした、 したな。

それぞれの名札には右肩に小さく劇団員、準劇団員,研究生とランク分けがされていた。
ところが、シモンの札にだけは「特別劇団員」と書いてあった。オンリーワン。四谷シモンだけである。

何が特別なのか? しばらくして、その訳がわかった。

状況劇場は、原則として年中無休。一年のうち、休みは大晦日と元旦、二日の三日間だけ。
あとは、稽古があろうがなかろうが、毎日稽古場に顔を出さなければならない。研究生も劇団員も、病気以外の休みは認められない。
「日曜はダメよ」ではなく、「日曜もダメよ」である。

ところが、シモンは、年二回の本公演の稽古と本番の日以外は稽古場に滅多に顔を出さない。

稽古の当初は、一週間ほど「戯曲分析」「本読み」をやってから、「立ち稽古」といって台本を持たない稽古に入るという段取りになっているのだが、シモンは「立ち稽古」に入っても、自分の出番寸前ぐらいからやっと稽古に参加してくるのが常であった。

状況劇場は、年に春・秋の2回の公演しか行わない。
つまり、一年のうち大体8ヶ月が稽古と本番。
俺が入った頃は、残りの4ヶ月間に定期的なイベントはない。
稽古場へ行っても、特にやらなければならない事は無いわけである。だからといって、劇団員、研究生に休みはない。
芝居とは直接関係のないこと、例えば座長を囲んで車座で酒盛りとか、座長を尋ねて来たお客さんを囲んで酒宴とか、みんなで映画を観に行ったりとか、急に全員でランニングとか・・・不定期に何がしかをやったりやらなかったりでのんびり過ごしていたように思う。

そんな特にこれといってすべき事何もない日に、シモンがフラリと現れることもあった。
大概は唐さんと酒を飲みながら芝居や芸術の話題で盛り上がっていたのだろうと思う。
唐さんとシモンの間には、暗黙のうちに何か通底しているもの、信頼と似通ったものがあった風に思えた。

つまり、その辺りが「特別」であったのだろう。

そんな、ある日のことである。
狭い洋間の稽古場で、いつものようにみんなで車座になって飲んでいた。シモンも来ていて、研究生の俺も末席に控えて飲んでいた。
唐さんが、こう言い出した。

「そろそろ根津にも芸名をつけなくちゃな。何か自分で考えてるのはあるか?」
「学生の時唐さんに無断で『ジョン・シルバー』を学内上演した時にですね」
「・・・」
「当時、僕は日暮里にアパート住まいをしていたんで、『日暮里ランボー』て名乗ってました。ランは花の蘭でボーは坊主の坊です」
「そりゃ、ダメだな。昔うちに『アル中(チュウ)・ランボー』っていう役者がいたんだよ。ランボーは乱暴者の乱暴だけどな」
「あ、アル中ですか・・・」
「名字の根津を生かした方がいいんじゃないか? な、シモンちゃん?」

と唐さんが言った時のシモンの反応は早かった。

「ネエ、根津やえがきちょう(八重垣町)ってぇのはどう?」
「・・・(う~ん、やえがきちょうて、何? ちょうって町の名前じゃん)」と、心の中で困惑する俺。

「いいんじゃない、根津やえがきちょう!」

ここで唐さん。

「真田十勇士の一人に根津甚八というのがいたよな、あまり活躍しないけど・・・」

「いたねえ」と、誰か。俺もそれぐらいは知っている。ガキの頃、長兄の立川文庫の「真田十勇士」を盗み読んだことがあったのだ。

「根津甚八・・うん、いいんじゃないか。硬い感じがして・・・
ヨシ、これでいこう!」と、唐さん。

「はい。」と言うしかない俺。

こうして、翌日から俺は根津透から役者「根津甚八」となったわけである。

当時俺は21才の尻青き若造だから、「ジンパチかあ、何かおっさん臭くて嫌だなあ」というのが正直な気持ちであった。が、テント芝居のカーテンコールで、唐さんに「○○を演じましたネヅジンパチっ!」と紹介されるごとにつれて慣れていった、というより役者「甚八」になっていった。

以前ネットで自分を検索したら、芸名の由来に「舞台で真田十勇士・根津甚八を演じたから」とあったけれど、間違いですからねえ。これが命名の真実の由来です。

それにしても、シモンが言った『根津八垣町』に決まらなくて本当に良かったあ!

そうそう、シモンの十八番「お銀の唄」の二番のシモン流ギャグの話でしたね。

では、四谷シモンの登場で~す。

客席から「シモンちゃん!」の掛け声が聞こえるような気がするな。

♪♪♪ ・・・
今度は自転車屋に女中奉公
ここの旦那はヨイヨイで 間違う心配はないけれど
バカ息子のヨッちゃんが
夜な夜な フトンにもぐり込んで
どうしたの ヨッちゃん こんなに冷たい足入れてきて
あたしが いくら拒否しても 
ゲタゲタ笑いのヨッちゃんは
お銀のほおずきしゃぶらせろ
お銀のほおずき どこでとれる
こんなほおずき いっぺん買って
プシュプシュ プシュプシュ つぶしてえな
冗談こくな このバカが バカにおもちゃにされるもんか
すると障子がスルリと開いて 誰かと思うたら
ヨイヨイじじい ニッパ片手にこう叫ぶじゃない
「パンクはどこじゃ パンクだせ」
いきなり お乳をつまみあげ
口にほおばって 息いれます
これはチューブじゃござんせん
ヨイヨイじいさん目の色変えて
それでも フーフー息入れます
そのうちバカのヨッちゃんと ヨイヨイじいさんがもつれ合い ほおずきかパンクかで 殴り合い
すげなく あたしは とび出して
ぞうり片手に 夜の道 トボトボトボトボどこ行くか
星に聞いても 答えやせん
シーンとふけゆく 夜の江戸
夜つゆにぬれて しみじみと
女の業の悲しさを 嬉し笑いで知ったのさ ♪♪♪

シモンはこの終盤のトボトボを、
「♪・・・トボトボトボトボ、トボトボトボトボ、トボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボ・・・
(おしまいは早すぎて何を言ってるのかわからない)・・・」

と、テンポを急にアップし始めて、超早口で30回ぐらいのリフレインする。
意味はない。意味がないことに懸命になるから面白い。
そして、歌ってる本人もそのナンセンスさに吹き出してしまうのだ。
その終盤前までを情感タップリに歌い上げてるものだから、ギャップの大きさに聞き入っている全員は腹を抱えんばかりの大笑いである。

そういえば、「吸血姫(きゅうけつき)」という芝居で、こんなことがあった。

俺の役は「肥後の守」という歌手志望の少年役で、入団2年にして初めてソロで、それも自らのギター一本の伴奏で歌うシーンがあるのだ。それも主題歌をである。
さらに唐さんは、「作曲もやってみろ」ときた。
ただしヒントをくれた。
 
唐さんはよく「今夜、深夜映画劇場でいいのをやるぞ」 
と研究生に教えてくれることがあった。
「吸血姫」の稽古に入る直前だったか、ジュールス・ダッシンの映画「死んでもいい」をすすめられてテレビで観て感動したことがあった。

「死んでもいい」はメリナ・メルクーリとアンソニー・パーキンスとの悲恋物。原題は「フェードラ」。

死んでもいい
(クリックで拡大)


残念ながら、日本では出ていない。


暖炉の前での義母との禁じられたラブシーン。アンソニー・パーキンスが、愛に絶望しアリアを歌いながら、フェラーリで猛スピードで海岸線の道を飛ばし、そのまま海へ突っ込んでいくシーン・・・。

ギリシャ悲劇「フェードラ」を土台にしているだけあって、骨太な悲恋物で見応えがある。
また、義母・フェードラ役のギリシャの大女優メリナ・メリクーリの演技が凄い!
監督ジュールス・ダッシンの奥さんで、後にギリシャの国会議員になった。

ま、そんな豆知識れはいいとして

この「死んでもいい」のギリシャ風主題曲がまたいいのだ。
名画はいずれもそうだけど、監督も役者も美術も音楽も全ていい!

で、唐さんのヒントは、「死んでもいい」の主題曲をパクればいいということであった。

「夏の海辺にいったとき 誰も見た事もないものを見た

・ ・・・・・」

一応挑戦してはみたものの、2行で挫折。
結局、続きは小室等さんに補足して作曲してもらった。

本番を寸前に控えて、古道具屋で買った安ギターを自分で白にペイントし準備万端。
舞台での初めてのソロ。嬉しさの半面心細さもあった。

本番を2,3回終えたある日、俺は座長に呼ばれた。

「あそこさ、シモンにも出てきてもらって、二人で歌うことにするから」

自分でも気付いていた。歌はつたない上に声量がない。
テント劇場は、要するに壁も天井も布で出来ているわけだから音は殆ど反響しない。俺の歌声は後ろの客まで届いていなかったのだ。

高石かつえ役のシモンが何故か登場、肥後の守とともに歌い出す。
シモンの技量に助けられた。

吸血姫
(クリックで拡大)


狂った高石かつえのはオマルを被ってる。


すみません。本から撮ったのでシモンの鼻が消えてしまった。
でもこの時は、本当にシモンの歌の巧さに助けられたのでありました。

では今回は、このへんで失礼いたします。

また、お会いしましょう。
投稿者 根津甚八 17:34 | コメント(36) | トラックバック(0)
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