異形の役者体42007年04月02日
皆さん、いかがお過ごしですか? 根津甚八です。
桜がどどんと満開になりました。
春爛漫であります。
俺は1週間前から、週間天気予報の情報と、家から見える1本の桜の樹の咲き具合の観察から、3月30日に満開になると予測をたてていて、この日を、満開の桜を写真に収める日と決めていた。
まさにビンゴ!!!
桜は、やはり染井吉野でキマリですな。
黒くゴツゴツした幹や枝に淡い桃色の花を一斉に咲かせているたたずまいは、他のどんな樹とも比べ様のない美しさです。
それも、上の写真にあるようなトンネル状に立ち並んでいる桜並木の下に立って眺めると、何だか胸がザワザワっとしてきます。
予測的中で気分も浮き浮きと、友人と二人で、あらかじめ見当をつけておいた近所の桜スポットへ向かいました。なんと、この日の都内の気温は24度を超え、3月なのに夏日であった。
ベストポイントを探しながら移動していると、間もなく絶好な場所を発見。ところが、一人、女性の先客がいて撮影をしている。
じきに終わるだろうと踏んで、近くに車を停め、しばしの待機と決めこんだ。
ところが、車から降りてみて驚いた。
彼女は、何かに向かって盛んにポーズをとっている。そして、その先には、なんと三脚に据えられたビデオカメラが・・・。
この先客の女性は、満開の桜をバックに自分で自分を撮っているのである。
カメラに向かってニンマリ笑ったり、色っぽく迫ったり、桜の枝に手を伸ばしたりと、いろいろと忙しい。
暫くして橋の手すりから降りたので、やっと終わったかと思ったら、今度はポケットデジカメにチェンジ! セルフタイマーで撮り始めた。
また、手すりに腰掛けて、さっきと同じように一連のポーズを決めている。
こっちもいささか焦れてきて、真向かいの手すりから反対側の桜のトンネルを撮り始める事にした。
10数カット撮って、もう終わっただろうと振り向いたら、これがビ、ビ、ビックリ!
今度は、片手に構えた携帯に向かって笑いかけているではないか!!
正面に俺たちがいるし、周りには、桜に誘われて散歩してる人たちもかなりいる。だが、彼女はそんなことには一向にお構いなし。
完全に自分だけの世界に行ってしまっているようだ。
俺は、そろそろ場所を譲ってくれないかな?という圧力の意味で、仕方なく彼女を眺めていた。
だが、敵はマイペースである。俺は、少しイラっときた。
また、彼女の出で立ちをよく見ると、かなり短めのミニスカートに網タイツというスタイル。
「うん、許せない! 桜に失礼だろっ! 太い脚にその網タイツはやめろっ、似合わねえ! サッサと立ち去れえ!」
と、俺は胸の内で叫んでいた。
そんなこんなで、やっと撮ったのが上の写真。
今、変な奴は確実に増殖している。
しかし、帰り道にふと思った。あのしつこい撮り方は、仕事がらみかも、あるいは、ブロガーだったりして・・・。
多少イラっとしたが、いやあ、結果おかげさまで楽しい時間を過ごさせてもらったというわけだ、チャンチャン!!
さて、今や伝説となっている状況劇場・紅テントでの麿赤児の話の続編です。
当時の紅テント公演の記録は、限られた舞台写真、それらを編纂した2冊の本、演劇評論家の記事、唐さんの記述、それと大島渚監督の映画「新宿泥棒日記」に登場する紅テントぐらいしかない。
‘76年の「おちょこの傘持つメリーポピンズ」以後は、一応テント芝居の本番をビデオ録画されたものが残っている。しかし、画質も台詞も不鮮明で、出演していた俺でさえどんな芝居なのかよくわからない。現在、一般の人たちが見られるものはホントに少ない。
芝居は一夜の花火のようなものだから、こういった寂しい面もある。
また、アングラ(アンダーグラウンド)劇の先鋒であった状況劇場は反逆・反体制の象徴的存在であり、あくまで文化の傍流であって、マスメディアからまともな扱いを受けていなかったことが要因だとも思う。彼らにとっては、所詮はカウンターカルチャーの一シーンなのであったのだろう。だから資料も少ないのは当然かもしれない。
そう、そう、フランケ醜態に扮した麿さんの登場でしたね。
普通の劇場では、あんな登場の仕方は絶対にあり得ない!!!
テント劇場だからこそ可能なものである。
ここから先は、紅テントの内部が把握出来ていないと、その面白さを理解しずらいので、当時の状況劇場の芝居を観たことがない方々のために、テント劇場がどんなものだったかを知っておいていただきたい。まず、下の写真を見て下さい。
「あれからのジョン・シルバー」の本番
不鮮明で申し訳ないけれど、客席と舞台に段差がないのは確認出来ると思います。
紅テントの舞台とは、何の事はない、ただの地べたなのである。
客席はというと、舞台と同じ地べたに、工事現場などでよく見かける青シートの上にゴザを一枚重ねてあるだけで、他には何にもない。座布団などもっての他である。
入り口で渡されたビニール袋に履物を入れ、何処でも好きな所に体育座りをするという、いたって簡潔な客席なのである。
しかし、花道はあった。上の写真でいうと、左下隅あたり。
といっても、これは観客の出入りための通路であって、テントの入り口から、つまり外の空き地から地続きで舞台中央に向かって幅60センチぐらいの通路が空けてあるのである。
演じる役者たちにとっては花道だが、観客にとっては外へ通じるただの通路であるという二重構造。
このように「虚」と「実」の混同がいとも簡単にに成立してしまっているところが、テント劇場のミソであり、キモなのである。
突然ですが、ここで当時の麿さんの白塗りメイクアップ。
‘68年「由比正雪」の丸橋忠弥役のメイクの麿さん
今から40年以上前にこのメイクで芝居してたんですから、凄いの一言です。
説明が長くなってしまった。
でもって、この花道から、全身白塗りで開閉自在カーテン装備のプロテクターを纏った麿さんのフランケ醜態は登場したのである。
入り口から助走をつけたかと思うと、いきなりゴロゴロゴロっと回転しながらそのまま舞台中央へ達すると、スックと立ち上がった。
ちなみに、台本のト書きには、(フィアンセ現れる)としか書かれていない。
少女 兄さん、紹介します。ミスター・フランケ醜態さん。こちら、あたしの兄です。
フランケ (握手して)よろしく、フランケ醜態です。
と、あの生臭いダミ声に奇妙なイントネーションで、最初の台詞を発したのであった。
今回も脱線が...。
麿さんのエピソードはまだ続くのです。
では、またお会いいたしましょう。
桜がどどんと満開になりました。
春爛漫であります。
俺は1週間前から、週間天気予報の情報と、家から見える1本の桜の樹の咲き具合の観察から、3月30日に満開になると予測をたてていて、この日を、満開の桜を写真に収める日と決めていた。
まさにビンゴ!!!
桜は、やはり染井吉野でキマリですな。
黒くゴツゴツした幹や枝に淡い桃色の花を一斉に咲かせているたたずまいは、他のどんな樹とも比べ様のない美しさです。
それも、上の写真にあるようなトンネル状に立ち並んでいる桜並木の下に立って眺めると、何だか胸がザワザワっとしてきます。
予測的中で気分も浮き浮きと、友人と二人で、あらかじめ見当をつけておいた近所の桜スポットへ向かいました。なんと、この日の都内の気温は24度を超え、3月なのに夏日であった。
ベストポイントを探しながら移動していると、間もなく絶好な場所を発見。ところが、一人、女性の先客がいて撮影をしている。
じきに終わるだろうと踏んで、近くに車を停め、しばしの待機と決めこんだ。
ところが、車から降りてみて驚いた。
彼女は、何かに向かって盛んにポーズをとっている。そして、その先には、なんと三脚に据えられたビデオカメラが・・・。
この先客の女性は、満開の桜をバックに自分で自分を撮っているのである。
カメラに向かってニンマリ笑ったり、色っぽく迫ったり、桜の枝に手を伸ばしたりと、いろいろと忙しい。
暫くして橋の手すりから降りたので、やっと終わったかと思ったら、今度はポケットデジカメにチェンジ! セルフタイマーで撮り始めた。
また、手すりに腰掛けて、さっきと同じように一連のポーズを決めている。
こっちもいささか焦れてきて、真向かいの手すりから反対側の桜のトンネルを撮り始める事にした。
10数カット撮って、もう終わっただろうと振り向いたら、これがビ、ビ、ビックリ!
今度は、片手に構えた携帯に向かって笑いかけているではないか!!
正面に俺たちがいるし、周りには、桜に誘われて散歩してる人たちもかなりいる。だが、彼女はそんなことには一向にお構いなし。
完全に自分だけの世界に行ってしまっているようだ。
俺は、そろそろ場所を譲ってくれないかな?という圧力の意味で、仕方なく彼女を眺めていた。
だが、敵はマイペースである。俺は、少しイラっときた。
また、彼女の出で立ちをよく見ると、かなり短めのミニスカートに網タイツというスタイル。
「うん、許せない! 桜に失礼だろっ! 太い脚にその網タイツはやめろっ、似合わねえ! サッサと立ち去れえ!」
と、俺は胸の内で叫んでいた。
そんなこんなで、やっと撮ったのが上の写真。
今、変な奴は確実に増殖している。
しかし、帰り道にふと思った。あのしつこい撮り方は、仕事がらみかも、あるいは、ブロガーだったりして・・・。
多少イラっとしたが、いやあ、結果おかげさまで楽しい時間を過ごさせてもらったというわけだ、チャンチャン!!
さて、今や伝説となっている状況劇場・紅テントでの麿赤児の話の続編です。
当時の紅テント公演の記録は、限られた舞台写真、それらを編纂した2冊の本、演劇評論家の記事、唐さんの記述、それと大島渚監督の映画「新宿泥棒日記」に登場する紅テントぐらいしかない。
‘76年の「おちょこの傘持つメリーポピンズ」以後は、一応テント芝居の本番をビデオ録画されたものが残っている。しかし、画質も台詞も不鮮明で、出演していた俺でさえどんな芝居なのかよくわからない。現在、一般の人たちが見られるものはホントに少ない。
芝居は一夜の花火のようなものだから、こういった寂しい面もある。
また、アングラ(アンダーグラウンド)劇の先鋒であった状況劇場は反逆・反体制の象徴的存在であり、あくまで文化の傍流であって、マスメディアからまともな扱いを受けていなかったことが要因だとも思う。彼らにとっては、所詮はカウンターカルチャーの一シーンなのであったのだろう。だから資料も少ないのは当然かもしれない。
そう、そう、フランケ醜態に扮した麿さんの登場でしたね。
普通の劇場では、あんな登場の仕方は絶対にあり得ない!!!
テント劇場だからこそ可能なものである。
ここから先は、紅テントの内部が把握出来ていないと、その面白さを理解しずらいので、当時の状況劇場の芝居を観たことがない方々のために、テント劇場がどんなものだったかを知っておいていただきたい。まず、下の写真を見て下さい。
「あれからのジョン・シルバー」の本番
不鮮明で申し訳ないけれど、客席と舞台に段差がないのは確認出来ると思います。
紅テントの舞台とは、何の事はない、ただの地べたなのである。
客席はというと、舞台と同じ地べたに、工事現場などでよく見かける青シートの上にゴザを一枚重ねてあるだけで、他には何にもない。座布団などもっての他である。
入り口で渡されたビニール袋に履物を入れ、何処でも好きな所に体育座りをするという、いたって簡潔な客席なのである。
しかし、花道はあった。上の写真でいうと、左下隅あたり。
といっても、これは観客の出入りための通路であって、テントの入り口から、つまり外の空き地から地続きで舞台中央に向かって幅60センチぐらいの通路が空けてあるのである。
演じる役者たちにとっては花道だが、観客にとっては外へ通じるただの通路であるという二重構造。
このように「虚」と「実」の混同がいとも簡単にに成立してしまっているところが、テント劇場のミソであり、キモなのである。
突然ですが、ここで当時の麿さんの白塗りメイクアップ。
‘68年「由比正雪」の丸橋忠弥役のメイクの麿さん
今から40年以上前にこのメイクで芝居してたんですから、凄いの一言です。
説明が長くなってしまった。
でもって、この花道から、全身白塗りで開閉自在カーテン装備のプロテクターを纏った麿さんのフランケ醜態は登場したのである。
入り口から助走をつけたかと思うと、いきなりゴロゴロゴロっと回転しながらそのまま舞台中央へ達すると、スックと立ち上がった。
ちなみに、台本のト書きには、(フィアンセ現れる)としか書かれていない。
少女 兄さん、紹介します。ミスター・フランケ醜態さん。こちら、あたしの兄です。
フランケ (握手して)よろしく、フランケ醜態です。
と、あの生臭いダミ声に奇妙なイントネーションで、最初の台詞を発したのであった。
今回も脱線が...。
麿さんのエピソードはまだ続くのです。
では、またお会いいたしましょう。