川遊び2006年07月25日
皆さんいかがお過ごしですか? 根津甚八です。
いよいよ夏休みに突入ですね。
ご家族で、また友人や恋人と、海、山、川へ遊びに行かれることと思います。
夏と言えば水泳の季節ですが、実は、俺は泳ぎが不得手です。中学生の時、溺れたことがあって、以来水に対して恐怖心が拭いきれないところがあるんです。でもカナヅチではないので、一応泳ぎには行くのだけれど、自分の背丈を超える深さまで浸かると、とたんに緊張します。
唯一余裕を持って出来る泳ぎは、「平泳ぎ」ぐらいですかね。
俺が生まれたのは、山梨県都留市。
昭和30年の春まで、この町で育ちました。
ご存知のように山梨県は海に面してません。典型的な盆地の気候で、風が抜けない都留の夏は、独特のうだるような暑さです。
家の前のコールタール製の道路の表面が、夏になるとまるでガムのようにグニャグニャに溶けてしまうほどの酷暑です。
当時は勿論エアコンも冷蔵庫もありません。
じゃ、どうやって夏場を凌いでいたかというと、まずは家の構造そのものが、高温多湿の風土に合っていて、要するに隙間だらけで風が抜けるんです。密閉性の高い今のマンションなんかと比べたら、ゼーンゼン涼しかったように思います。
どの家も高床式で、縁の下が風の通り道になっていて、畳の下は板一枚剥がせば、むき出しの土くれ。
陽の当たる側には、ヨシズや簾で日陰をつくり、障子や襖を大きく開けて風が抜けるようにしていました。
あとは、もっぱら自分で団扇か扇子であおぐ。扇風機はどちらかといえば贅沢品だったように思います。
それと、井戸水で冷やしたスイカ、トマト、キュウリなどを食べて、体を中から冷やす。おやつにはかき氷とかアイスキャンディーとかね・・・。
それから、軒下に風鈴を吊るしたり、家の中の何処かに金魚鉢を置いたり、音や見た目で涼しさを感じとっていた。
そして、夏場の子供の遊びと言えば、何と言っても川遊び。
当時、小学校にプールなどあるはずもなく、夏に泳ぐ場所といえば、二人の兄に連れられていった川でした。
町を縦断するように「桂川」という相模川の上流となる清流が流れていて、夏休みの間は毎日のように、通ったもんです。
家から川までは歩いて2、30分だったでしょうか。
川遊びに行く時に用意する物は、手拭い一本だけ。
人一人通るのがやっとといった細い崖道を下りてゆき、河原に着くと、清流からの涼しい風が柔らかく吹いて来ます。
1メートルぐらいの高さの大石の側で、早速素っ裸になると、着て来た半ズボンから皮ベルトを抜いて腰に締める。これからが手拭いの出番。
まず、手拭いの片端を尻の上あたりのベルトに一結びしてから、もう片方の端を股の間をくぐらせ、男子の大事なものを包み込むようにして、へそのあたりでベルトに挟み込んで、余った部分を前に垂らして、手拭いふんどしの出来上がり。こういう手拭いの使い方もあるんです。
桂川は富士山の麓の湧水を水源としている清流ですから、真夏でも水温は20度を超えることはありません。
だから、2、30分も川にいると、すぐ体が冷えてきます。
川にいると言いましたが、俺みたいにまだ満足に泳げない子供たちは、流れの殆どない浅い淀みで、せいぜい犬かきと水浴び程度でした。
それでも夢中になって遊んでいると、全身が小刻みに震え始め、顎が痙攣してきて自力で抑えようとすると余計にひどくなって、上下の歯はガチガチ鳴り始め、唇は、血の気を失い濃い紫色になってくる。
ひどい時は、かき氷を急いでかき込んだ時と同じように、こめかみにキ~ンと痛みが走ってきます。
ここまできたら、川から上がり、日向の河原にデンと座ってるでっかい石を目がけて駆け出し、そいつにガッシと抱きつきます。
夏の太陽に晒された河原の石は、火傷するんじゃないか思うくらい熱いんだけど、全身が芯から冷えきってるので、丁度いいんです。
上からの太陽の直射熱も受けながら、暫く大石に抱きついてると、冷え切った体が温まってきて、震えも顎の痙攣もおさまり、唇に赤味も戻って来る。
そのままジッとしていると、じわじわと汗がにじみ出してきて、今度はジリジリと暑くてたまらなくなって来る。すると、また川の中へ。
ただこの繰り返し。何だか、サウナ風呂と似てますね。
陽が傾いて来ると、深い谷底を流れている川の南側に山が迫っているせいで、河原は急に冷えて来ます。
こうなったら帰り支度です。といっても、股間の手拭をはずして、服を着るだけですけどね。
今考えると、桂川へ泳ぎに行っていたというより、ただ体を冷やしに行っていたという方が当たってるかもしれません。
それから時は流れて30数年後、ニジマスの大物が釣れるという情報を聞き、久しぶりに故郷の川を目にした時、その変わり果てた様子は、あまりに悲惨なものであった。
あの清らかな水は濁り、いたる所に自転車、マットレス、バイク、等々粗大ゴミが捨てられていて、場所によってはドブのような異臭さえしていた。
中でも一番驚いたのは、白いゴミ袋が、昔話「桃太郎」の桃のように、川上からドンブラコと流れて来たのだ。まるで悪い夢でも見せられているような気がした。そして河原には「遊泳禁止」の看板が立っていた。
そこには、俺の幼い頃の記憶の中の桂川は跡形もなく消え、無残な姿をさらしていた。
こういうことは、何も俺の故郷だけの話ではなく、日本中のいたる所で見られる現象なんだろうな。
悲しい現実。
では、またお会いしましょう。
いよいよ夏休みに突入ですね。
ご家族で、また友人や恋人と、海、山、川へ遊びに行かれることと思います。
夏と言えば水泳の季節ですが、実は、俺は泳ぎが不得手です。中学生の時、溺れたことがあって、以来水に対して恐怖心が拭いきれないところがあるんです。でもカナヅチではないので、一応泳ぎには行くのだけれど、自分の背丈を超える深さまで浸かると、とたんに緊張します。
唯一余裕を持って出来る泳ぎは、「平泳ぎ」ぐらいですかね。
俺が生まれたのは、山梨県都留市。
昭和30年の春まで、この町で育ちました。
ご存知のように山梨県は海に面してません。典型的な盆地の気候で、風が抜けない都留の夏は、独特のうだるような暑さです。
家の前のコールタール製の道路の表面が、夏になるとまるでガムのようにグニャグニャに溶けてしまうほどの酷暑です。
当時は勿論エアコンも冷蔵庫もありません。
じゃ、どうやって夏場を凌いでいたかというと、まずは家の構造そのものが、高温多湿の風土に合っていて、要するに隙間だらけで風が抜けるんです。密閉性の高い今のマンションなんかと比べたら、ゼーンゼン涼しかったように思います。
どの家も高床式で、縁の下が風の通り道になっていて、畳の下は板一枚剥がせば、むき出しの土くれ。
陽の当たる側には、ヨシズや簾で日陰をつくり、障子や襖を大きく開けて風が抜けるようにしていました。
あとは、もっぱら自分で団扇か扇子であおぐ。扇風機はどちらかといえば贅沢品だったように思います。
それと、井戸水で冷やしたスイカ、トマト、キュウリなどを食べて、体を中から冷やす。おやつにはかき氷とかアイスキャンディーとかね・・・。
それから、軒下に風鈴を吊るしたり、家の中の何処かに金魚鉢を置いたり、音や見た目で涼しさを感じとっていた。
そして、夏場の子供の遊びと言えば、何と言っても川遊び。
当時、小学校にプールなどあるはずもなく、夏に泳ぐ場所といえば、二人の兄に連れられていった川でした。
町を縦断するように「桂川」という相模川の上流となる清流が流れていて、夏休みの間は毎日のように、通ったもんです。
家から川までは歩いて2、30分だったでしょうか。
川遊びに行く時に用意する物は、手拭い一本だけ。
人一人通るのがやっとといった細い崖道を下りてゆき、河原に着くと、清流からの涼しい風が柔らかく吹いて来ます。
1メートルぐらいの高さの大石の側で、早速素っ裸になると、着て来た半ズボンから皮ベルトを抜いて腰に締める。これからが手拭いの出番。
まず、手拭いの片端を尻の上あたりのベルトに一結びしてから、もう片方の端を股の間をくぐらせ、男子の大事なものを包み込むようにして、へそのあたりでベルトに挟み込んで、余った部分を前に垂らして、手拭いふんどしの出来上がり。こういう手拭いの使い方もあるんです。
桂川は富士山の麓の湧水を水源としている清流ですから、真夏でも水温は20度を超えることはありません。
だから、2、30分も川にいると、すぐ体が冷えてきます。
川にいると言いましたが、俺みたいにまだ満足に泳げない子供たちは、流れの殆どない浅い淀みで、せいぜい犬かきと水浴び程度でした。
それでも夢中になって遊んでいると、全身が小刻みに震え始め、顎が痙攣してきて自力で抑えようとすると余計にひどくなって、上下の歯はガチガチ鳴り始め、唇は、血の気を失い濃い紫色になってくる。
ひどい時は、かき氷を急いでかき込んだ時と同じように、こめかみにキ~ンと痛みが走ってきます。
ここまできたら、川から上がり、日向の河原にデンと座ってるでっかい石を目がけて駆け出し、そいつにガッシと抱きつきます。
夏の太陽に晒された河原の石は、火傷するんじゃないか思うくらい熱いんだけど、全身が芯から冷えきってるので、丁度いいんです。
上からの太陽の直射熱も受けながら、暫く大石に抱きついてると、冷え切った体が温まってきて、震えも顎の痙攣もおさまり、唇に赤味も戻って来る。
そのままジッとしていると、じわじわと汗がにじみ出してきて、今度はジリジリと暑くてたまらなくなって来る。すると、また川の中へ。
ただこの繰り返し。何だか、サウナ風呂と似てますね。
陽が傾いて来ると、深い谷底を流れている川の南側に山が迫っているせいで、河原は急に冷えて来ます。
こうなったら帰り支度です。といっても、股間の手拭をはずして、服を着るだけですけどね。
今考えると、桂川へ泳ぎに行っていたというより、ただ体を冷やしに行っていたという方が当たってるかもしれません。
それから時は流れて30数年後、ニジマスの大物が釣れるという情報を聞き、久しぶりに故郷の川を目にした時、その変わり果てた様子は、あまりに悲惨なものであった。
あの清らかな水は濁り、いたる所に自転車、マットレス、バイク、等々粗大ゴミが捨てられていて、場所によってはドブのような異臭さえしていた。
中でも一番驚いたのは、白いゴミ袋が、昔話「桃太郎」の桃のように、川上からドンブラコと流れて来たのだ。まるで悪い夢でも見せられているような気がした。そして河原には「遊泳禁止」の看板が立っていた。
そこには、俺の幼い頃の記憶の中の桂川は跡形もなく消え、無残な姿をさらしていた。
こういうことは、何も俺の故郷だけの話ではなく、日本中のいたる所で見られる現象なんだろうな。
悲しい現実。
では、またお会いしましょう。
投稿者 根津甚八 14:03 | コメント(9)| トラックバック(1)
衣食住が過不足ない状態に到達した時点で、満ち足りているべきだったのでしょうけれど。
昭和30年頃、高度成長前の日本は豊かだったと思います。
根津さんの少年時代、いいですね!もっともっと幼少の頃や若き日のお話を聞かせてください。
楽しみにしています。
御年配の方の話では、昔は世間一般に貧しかったけど心は豊かだったと・・よく耳にしますね。
日本のよき時代に少年時代を過ごされた根津さまの思い出が羨ましい限りです(><)
皆様のおっしゃるとおり、高度経済成長を目指す間に大切な
ものをたくさん失くしてしまったのですねぇ~。
私の場合、子供の頃遊びまわった隣の空き地(見事な桜と銀杏の大木が立っていました)が、「嘘だ、何かの間違いだ~」と思ううちに伐採され、あっという間にコンクリートで固められて駐車場となり、最後は駐車場も無くなって敷地いっぱいにマンションが建ちました。
思い出の場所が、無残に変貌を遂げていくのを見届けるのも、なかなか辛いものがありました。
最近、息子(3才)のお供で、戦後~昭和30年代の蒸気機関車のDVDを毎日見るのですが、「きっとこの風景も、この風景も、どれも現存しないんだろうなあ」などと、1人感慨にふけっております・・・(長文スミマセン)。
是非また子供の頃のお話、たくさん聞かせてください!!
私が根津さんを知ったのは小学6年のときです。「黄金の日々」でした。そして翌年のドラマ「恋人たち」で、完全に根津さんのファンに・・・!
同級生のたのきんブームの中、私はずっと根津さんの切抜きを下じきに入れ、ウイスキーのCMポスターが欲しくて酒屋に買いに行ったり(モチロン買えませんでしたが、ポスターはもらえました♪)、友人がシブがき隊の映画に行くのをよそに、ひとりで「さらば、愛しき大地」を観に行ったりしてました・・・。まだまだ子供だったはずですが・・・。なつかしい・・・。
根津さんが、今回子供の頃の思い出をお書きになったのを読んでいたら、自分の思春期の根津さんとの思い出(←勝手な(笑))がいろいろよみがえりました。
それにしても、、、、
当時は時々雑誌のインタビュー記事を見ることしか出来なかったのに、今はこうして、根津さんご本人が書いた文章をそのままリアルタイムで見れるなんて・・・!
うれしいっ!
インターネットばんざい!!
スミマセン、つい熱くなって長くなってしまいました。。。
最近、根津さんのお姿をあまりお見かけしなくなったのでさびしかったですが、ここでこうしてお元気そうな近況を知ることができて嬉しいです。
これからも楽しみにしてますね♪
私は子供のころ、神田川の近所に住んでいたのですが、そのときの神田川の汚さといったら!友人が財布を落としたことがある(超悲劇!)のですが、どこに落ちたかわからないくらい汚かったんです!あきらめたほうがいいよ、と言ってしまいたいくらい、汚くて心から同情しました。当然のごとく、見つかりませんでした。
でも、ある時期から上流の人たちの努力などで、ずーっと後になってから、透明度が増し、魚も住むようになってテレビで報道されるまでに回復したんですよ。都内でも蛍が戻ってきたりもして、一人一人が気長に真剣に取り組むことで取り戻せる自然もあるのだなーと、とても感動することもあります。
根津さんは、ばりばりアウトドア派の方のようですし、
そこで感じたことを今回のように語っていただけると、
読む人みんなの心にすごく残ると思います。
少なくとも私は、自分の子供のころを思い出しましたから。
地球は温暖化が進んで異常気象がすごく多いし、環境破壊は他人事ではないなと実感する今日このごろです。
長くなっちゃってすみません。
次回も楽しみにしています!
陽水さんのあの歌が聞こえそうな感じ(*^.^*)
現実と比べると悲しいですが、根津さんの少年時代の想い出は私にも鮮明に映りました。
自然いっぱいのところで過ごせたなんて幸せですね!
私にもそんな想い出があればな~~って思います。
またいろんな時代の話楽しみにしています♪