追悼・丹波哲郎さん2006年09月29日
皆さん、お元気でしょうか? 根津甚八です。
俺の大好きな役者、丹波哲郎さんが亡くなられました。
9月24日午前11時27分。84歳でした。
無茶苦茶、哀しいです。今こうして打っていても、こみ上げて来る嗚咽にタイピングも途絶えがちです。
丹波さんとは、大河ドラマ「黄金の日々」で初めてご一緒させていただきました。
丹波さんが演じられたのは、堺の大豪商・今井宗久(織田信長との付き合いも深い武器商人という面もあった人物) 俺は、その今井宗久の雇われ人で、情報収集屋、いわば忍者の石川五右衛門を演らせた貰っていたわけです。
主従関係ですから当然、特にドラマの前半は丹波さんとご一緒出来る場面が多くて、俺が芝居の世界に入る以前に観た「007」で、ショーン・コネリーに負けない存在感を放っていた丹波哲郎という大俳優と、一緒に演じられる、そういう日々を本当に楽しみにしていました。
故・丹波哲郎さん
今井宗久の丹波さん。どうです、このこの面構え!
顔も身体もデッカくて立派だったけど、あの人の声の野太さとデカさ、良かったあ、好きだったなあ!!
だからといって、人に威圧感を与えるところはないんです。
大スターなのに、アングラ劇団から来てる生意気な若造の俺にも、フラットな対応をしてくれていました。
おおらかで、気さくで、人間としてスケールが大きい印象でした。日本の役者の世界では、非常に珍しいタイプのキャラクターを持ってらしたと思います。
「黄金の日々」の時、度々こんなことがありました。
丹波さんが出るシーンの開始時間になっても、スタジオの中に丹波さんはいつもいません。徐々にスタッフも共演者もジリジリしてきます。
そして、キッカリ30分後。あの太くデカイ声がスタジオ中に響きます。
「もう大丈夫だ、大丈夫だあ。オレが来たから大丈夫だあ」
かつらも衣装もキッチリ済ませた今井宗久の丹波さんが、堂々と、かつ悠然と、入ってくるんです。待たされていた皆は、思わず笑っちゃいます。
「もう大丈夫」って、そりゃそうだよ。
丹波さんっ、あなたが時間通り来てくんないから録画が中断してたんですぅ。アッケラカンとしてセットに上がり、何事も無かったかのように涼しい顔してスタンバイする丹波さん。
俺は、もう大受けでした。そして、すんごい人だと圧倒されました。
こんなことも印象深く思い出します。
今井宗久と五右衛門の二人きりのシーンの本番の時。
ワンテイク目終了。2階の副調整室から「オーケー!」の声が懸かりません。フロアーADの男性が丹波さんの側に寄って来て、手にした台本を開き、半分腰が引けながら小声で丹波さんに言いました。
「あの・・・、ここのところの台詞が、少し間違っていたかなと・・・」
丹波さん、ADが指し示した辺りを数秒間目を通した。
そして、あの声で、
「うん、しかし、意味は通じてるだろう、意味は。大丈夫だあ!」
と言い残し、ユッタリとセットから降りてスタジオを去って行かれた。唖然として見送るADや他のスタッフ達。これにも、まだ若造だった俺は驚かされました。
丹波さんの訃報記事の中に、家の中に仕事を持ち込まない主義だったとあったけれど、思い当たる場面を見たことがある。
大河ドラマを録るスタジオ入口の前には、メイク用ブースが4つ位ならんでいる。ある日、スタジオ入口から一番離れているブースの蛇腹パーテーションをザーっと開けたら、何と、あの丹波さんが、真剣な表情で付け人相手に台詞覚えをやってらしたのだ。
これは俺の憶測だけど、丹波さんはもの凄く台詞覚えが早かったのではないか? だから、自宅では台本は開かない。恐らく一度読めばほぼ頭に入ってしまうので、移動中の車内や、現場での待ち時間などに、サッと覚える。
つまり、同じ台詞を繰り返し練習する必要がないのだ。
この、繰り返して台詞を練習しないことは、台本に書かれた台詞を「生きてる言葉」「自然な、血の通ってる生々しい台詞まわし」にする秘訣なのです。これについては、またの機会に!
丹波さんの「意味は通じてるだろう」という言葉は、実は、作り物であるドラマ・映画・演劇での役者の物言う術の肝(キモ)をついてると思います。
ここからも推測になりますが、丹波さんは、おおらかに、そして一気にザッと台詞を入れる。あとは、本番を待つ。
台本との多少の違いなどモーマンタイ(無問題)。台詞を思い出すのも、自然な自分の間にしてしまう。そんな事よりもっと大事なのは、「演者が演じてる現在を生きていること」にいかに自信を持っているかだ。そういう信条を持っておられたのではと思う。
記事によれば、微笑みさえ浮かべて、「霊界」へと旅立たれたそうだ。見事な死だったと思います。
丹波さん、ありがとうございました。
さようなら、丹波さん!!!!!
でも、「霊界」でまた会えるんですよね、だから、再会の楽しみがあるってことですよね。
ひとまず、さようなら。
かつて、貴方の子分だった「石川五右衛門」より。
俺の大好きな役者、丹波哲郎さんが亡くなられました。
9月24日午前11時27分。84歳でした。
無茶苦茶、哀しいです。今こうして打っていても、こみ上げて来る嗚咽にタイピングも途絶えがちです。
丹波さんとは、大河ドラマ「黄金の日々」で初めてご一緒させていただきました。
丹波さんが演じられたのは、堺の大豪商・今井宗久(織田信長との付き合いも深い武器商人という面もあった人物) 俺は、その今井宗久の雇われ人で、情報収集屋、いわば忍者の石川五右衛門を演らせた貰っていたわけです。
主従関係ですから当然、特にドラマの前半は丹波さんとご一緒出来る場面が多くて、俺が芝居の世界に入る以前に観た「007」で、ショーン・コネリーに負けない存在感を放っていた丹波哲郎という大俳優と、一緒に演じられる、そういう日々を本当に楽しみにしていました。
故・丹波哲郎さん
今井宗久の丹波さん。どうです、このこの面構え!
顔も身体もデッカくて立派だったけど、あの人の声の野太さとデカさ、良かったあ、好きだったなあ!!
だからといって、人に威圧感を与えるところはないんです。
大スターなのに、アングラ劇団から来てる生意気な若造の俺にも、フラットな対応をしてくれていました。
おおらかで、気さくで、人間としてスケールが大きい印象でした。日本の役者の世界では、非常に珍しいタイプのキャラクターを持ってらしたと思います。
「黄金の日々」の時、度々こんなことがありました。
丹波さんが出るシーンの開始時間になっても、スタジオの中に丹波さんはいつもいません。徐々にスタッフも共演者もジリジリしてきます。
そして、キッカリ30分後。あの太くデカイ声がスタジオ中に響きます。
「もう大丈夫だ、大丈夫だあ。オレが来たから大丈夫だあ」
かつらも衣装もキッチリ済ませた今井宗久の丹波さんが、堂々と、かつ悠然と、入ってくるんです。待たされていた皆は、思わず笑っちゃいます。
「もう大丈夫」って、そりゃそうだよ。
丹波さんっ、あなたが時間通り来てくんないから録画が中断してたんですぅ。アッケラカンとしてセットに上がり、何事も無かったかのように涼しい顔してスタンバイする丹波さん。
俺は、もう大受けでした。そして、すんごい人だと圧倒されました。
こんなことも印象深く思い出します。
今井宗久と五右衛門の二人きりのシーンの本番の時。
ワンテイク目終了。2階の副調整室から「オーケー!」の声が懸かりません。フロアーADの男性が丹波さんの側に寄って来て、手にした台本を開き、半分腰が引けながら小声で丹波さんに言いました。
「あの・・・、ここのところの台詞が、少し間違っていたかなと・・・」
丹波さん、ADが指し示した辺りを数秒間目を通した。
そして、あの声で、
「うん、しかし、意味は通じてるだろう、意味は。大丈夫だあ!」
と言い残し、ユッタリとセットから降りてスタジオを去って行かれた。唖然として見送るADや他のスタッフ達。これにも、まだ若造だった俺は驚かされました。
丹波さんの訃報記事の中に、家の中に仕事を持ち込まない主義だったとあったけれど、思い当たる場面を見たことがある。
大河ドラマを録るスタジオ入口の前には、メイク用ブースが4つ位ならんでいる。ある日、スタジオ入口から一番離れているブースの蛇腹パーテーションをザーっと開けたら、何と、あの丹波さんが、真剣な表情で付け人相手に台詞覚えをやってらしたのだ。
これは俺の憶測だけど、丹波さんはもの凄く台詞覚えが早かったのではないか? だから、自宅では台本は開かない。恐らく一度読めばほぼ頭に入ってしまうので、移動中の車内や、現場での待ち時間などに、サッと覚える。
つまり、同じ台詞を繰り返し練習する必要がないのだ。
この、繰り返して台詞を練習しないことは、台本に書かれた台詞を「生きてる言葉」「自然な、血の通ってる生々しい台詞まわし」にする秘訣なのです。これについては、またの機会に!
丹波さんの「意味は通じてるだろう」という言葉は、実は、作り物であるドラマ・映画・演劇での役者の物言う術の肝(キモ)をついてると思います。
ここからも推測になりますが、丹波さんは、おおらかに、そして一気にザッと台詞を入れる。あとは、本番を待つ。
台本との多少の違いなどモーマンタイ(無問題)。台詞を思い出すのも、自然な自分の間にしてしまう。そんな事よりもっと大事なのは、「演者が演じてる現在を生きていること」にいかに自信を持っているかだ。そういう信条を持っておられたのではと思う。
記事によれば、微笑みさえ浮かべて、「霊界」へと旅立たれたそうだ。見事な死だったと思います。
丹波さん、ありがとうございました。
さようなら、丹波さん!!!!!
でも、「霊界」でまた会えるんですよね、だから、再会の楽しみがあるってことですよね。
ひとまず、さようなら。
かつて、貴方の子分だった「石川五右衛門」より。