テニス体験2006年05月23日
「根津、お前テニス出来るか?」「いや、やったことない」「そうか。今度村上龍の『テニスボーイの憂鬱』を映画にするんだが、お前とキョンキョンでいこうと思ってる」「キョン2? カワイイよな、あの子。でも、俺はテニスやらないし……」ゴジは全く動じず「お前がどのぐらい出来るか見たいから、俺が行ってるテニスクラブに来いや」ってなことで、数日後、彼の馴染みのテニスクラブへ出かけて行った。挨拶もそこそこにコートへ連れてかれ、いきなりネットを挟んで打ち合い開始。「おーっ、結構いけるな」とゴジ。十代の頃、大学のテニス部にいたすぐ上の兄のラケットを内緒で持ち出し、壁打ちの真似事程度の経験を頼りにこっちは必死。しばらくして、手首がだるくなってきててボールがとんでもない方へ飛び出した。「根津ヨゥ、左でやってみな」言われるがままにラケットを左に持ち替えて打ち出したら、なんとビックリ、右より球が数段速いのだ。ラリーも結構続く。多分、高校時代に剣道をやっていたせいだろう、右利きなのに、左の筋力のが強いのだ。「いいなあ。左利きのほうが映像的に格好いいから、左でいこう。よし、じゃ、次はサーブ」ところが、ここで問題発生。右では何とかなるものの、左では全くお話にならない。球に面が当たれば良い方で、ほとんどが空振りになってしまうのだ。空しくコートにはずむ球。「ま、今日は初日だからな。いけるよ。」ってことでこの日は解散。その後しばらくしてゴジから電話があった。「テニスボーイの憂鬱な、映画化権がどうしてもクリア出来ねえんだよ。リュウ(村上龍)は良いって言ってくれてんだけどよ。」 何かの事情で映画化権は原作者のリュウの手を離れてしまっていたらしい。こんな風にして消えてゆく映画の企画は無数にある。実際に映画になって、みなさんが観られるのはほんの一部で、企画だけで流れた方が多いかもしれない。
今だから言えるけど、ゴジからキョン2の名前を聞いた時、実は内心ドッキリとした。俺は彼女との共演をかなり、いやもの凄く期待していた。当時俺は彼女の隠れファンだったし、さらにこの話より少し前、彼女の部屋に俺のポスターが貼ってあるという週刊誌記事をテレビスタッフから見せられたことがあるからだ。
ってなことで、俺のテニス体験はたったの一日で終わりを告げ、俺の密かな期待は あっけなくパンクしたのだった。