自転車22006年08月07日
皆さん、いかがお過ごしですか? 根津甚八です。
連日猛暑が続いてます。体調など崩さないよう気をつけましょうね。
テレビ、新聞で毎日やってる天気予報で知らされる気温って、直射日光を遮断して、しかも風通しも良い芝生の上に設置された「百葉箱」という、気温・湿度を計測するための専用の箱の中での温度をいってるんでしょう。つまり、特殊(?)な決まった条件下での一つの目安に過ぎないわけで、コンクリートジャングルの真っただ中での生活体感気温は、もっともっと厳しいわけだから、油断は禁物ですよね。
では、前回のつづきをお楽しみ下さい。
自転車での稽古場通いを初めて半年、ほぼノンストップで、風のようにスイスイと裏道を流してゆくことに慣れ始めた頃である。
「吸血姫」という新作の舞台稽古の前日に、ことは起った。
5月の初旬、よく晴れて、実に清々しく気持ちの良い天気の日であった。
その日は稽古は無く、午前中から翌日の舞台稽古の準備に取りかかっていた。
稽古場に使っている1階の20畳程の板の間のガラス戸を全開にして、小道具、衣装などを中庭へ運びだしたり、未完成のセット作り等の作業をしたりと、皆ウキウキと忙しく動いている。
舞台稽古が近くなると、役者は徐々にアドレナリンが上がってくるものだが、この時は、いつもよりもワクワク、ドキドキ、興奮する要因が他にもあった。
この年の唐さんの新作(唐さんは、この頃から毎年2本、新作を発表し続けるペースに入っていった。どんなに評判が良くても、絶対に再演をしなかった。)「吸血姫」は、それ迄の作品と比べると、劇作法が大きく変わって、上演時間も2時間を超えるという初めての大作であったということ。また、大分くたびれてきた初代の紅テントに、同型の真新しい紅テントをドッキングさせるという、これまた初めての上演方式を試みるということ。その上、テントを立てる場所が、何と渋谷の繁華街のド真ん中、西武デパート所有の広大な空き地(現在、パルコ等が建っている周辺)である。座員一同が興奮気味であったのも無理はない。
また、「吸血姫」では、俺はかなりの大役にキャスティングされていた。
だから、皆より余計にハイテンションであった。
キャスティングといえば、俺の紅テントでのデビューは前の年、つまり入団した翌年の夏に上演された「ジョン・シルバー 愛の乞食篇」だった。
初めて〈当て書き〉された生命保険屋田口だけではなく、復員兵1役と、さらに一本足の憲兵役の三役を演らせて貰えたのである。
今考えると、もの凄いことですね。あり得ない。
唐さんは、座付きの戯作者(兼演出、役者)だから、メインの役は殆ど、その時劇団にいる役者に〈当て書き〉をする。
だから、出来たてホヤホヤのガリ版刷りの台本を読んでいくと、この役は麿さんだろ、これは李さんで、これは大久保さんだろう、これは四谷シモンで、これは不破さんだな、これが唐さんかな・・・これは大月か、梅軒かな?ってな具合に、殆どの配役は、正式なキャスティング発表以前に、解ってしまうわけですよ。
だから「ジョン・シルバー 愛の乞食篇」の台本を初めて読んだ時は、驚いた、驚いた!! と同時に、もうメッチャクチャ嬉しかった。
一幕のトップシーンは、ミドリのおばさんを介抱してる生命保険屋田口くんとのやり取りで始まるんだけど、ミドリのおばさん(実は元海賊の尼蔵)は、怪優・麿 赤児(まろ あかじ)が演るのは間違いない。
公衆トイレの壁で吐いているミドリのおばさんと、その背中をさすってやっている男(田口)
ミドリのおばさん ありがとさん、お若いの。
男 もういいですか?
ミドリ もういいんだよ、お若いの。
男 気持悪いの治りました?
ミドリ ほっといてくれよ、お若いの。
ってな具合で始まり、20ページぶっ通しで二人きりのやり取りが続く。
で、当時の全座員の中で、田口を演れそうなキャラクターは、俺しかいないように思えた。と言うより、これは俺に当てた役だと、直感した。
19才で初めて唐さんの本と出会ってからの憧れの劇作家、天下の唐十朗に「当て書き」してもらえるなんて、まるで夢のような信じがたい出来事で、無上の喜びを感じたものでした。
だってほんの1年前は、半端な学生に過ぎなかったんですから・・・。
そうそう、そうですね、分かってますよ。今回は「宙を飛んだ」の続編でしたね。話はチョイと脱線しておりますが、しばしの御辛抱を・・・。
「吸血姫」の台本を初めて読んだ時も、肥後の守(ヒゴノカミ)という歌手志望の少年役、これが自分に書かれた役だと、すぐに分った。
大きな役である上に、マイギター一本で主題歌まで歌っちゃう!!!
稽古も半ば迄進んでいたある日、唐さんが、いつものように「今夜、テレビでジュールス・ダッシンの『死んでもいい』をやるぞ」と教えてくれた。
というようなお話で、監督も出演者も超一級の名作です。またギリシャ風な音楽がメッチャ良い。(観ていない皆さんには、是非お勧めの1本なんですが、チェックしたところ、残念ながらビデオ、DVD共、ありません)
翌日、唐さんに呼ばれ、
「昨日の『死んでもいい』凄かったな」
「ハイ、感動しました!」
「根津、あのテーマメロディを使って、今回の主題歌の曲を作ってみろ」
「え?」
「昔、俺もそうやって作曲したことがあるから、根津にも出来るよ」
「そうですか・・・じゃ、やってみます」
その晩から、ギター抱えてチャレンジ開始。しかし、始めの3行ぐらいですぐに行き詰まり、1週間たっても先へ進まない。主題歌作曲の野望は挫折。結局、他の劇中歌も含めて、フォークシンガーの小室等さんに依頼することとなった。
すみません、脱線し過ぎましたね。
この次は必ず「宙を飛びます」、しばらくお待ち下さい。
では、お会いしましょう。
連日猛暑が続いてます。体調など崩さないよう気をつけましょうね。
テレビ、新聞で毎日やってる天気予報で知らされる気温って、直射日光を遮断して、しかも風通しも良い芝生の上に設置された「百葉箱」という、気温・湿度を計測するための専用の箱の中での温度をいってるんでしょう。つまり、特殊(?)な決まった条件下での一つの目安に過ぎないわけで、コンクリートジャングルの真っただ中での生活体感気温は、もっともっと厳しいわけだから、油断は禁物ですよね。
では、前回のつづきをお楽しみ下さい。
自転車での稽古場通いを初めて半年、ほぼノンストップで、風のようにスイスイと裏道を流してゆくことに慣れ始めた頃である。
「吸血姫」という新作の舞台稽古の前日に、ことは起った。
5月の初旬、よく晴れて、実に清々しく気持ちの良い天気の日であった。
その日は稽古は無く、午前中から翌日の舞台稽古の準備に取りかかっていた。
稽古場に使っている1階の20畳程の板の間のガラス戸を全開にして、小道具、衣装などを中庭へ運びだしたり、未完成のセット作り等の作業をしたりと、皆ウキウキと忙しく動いている。
舞台稽古が近くなると、役者は徐々にアドレナリンが上がってくるものだが、この時は、いつもよりもワクワク、ドキドキ、興奮する要因が他にもあった。
この年の唐さんの新作(唐さんは、この頃から毎年2本、新作を発表し続けるペースに入っていった。どんなに評判が良くても、絶対に再演をしなかった。)「吸血姫」は、それ迄の作品と比べると、劇作法が大きく変わって、上演時間も2時間を超えるという初めての大作であったということ。また、大分くたびれてきた初代の紅テントに、同型の真新しい紅テントをドッキングさせるという、これまた初めての上演方式を試みるということ。その上、テントを立てる場所が、何と渋谷の繁華街のド真ん中、西武デパート所有の広大な空き地(現在、パルコ等が建っている周辺)である。座員一同が興奮気味であったのも無理はない。
また、「吸血姫」では、俺はかなりの大役にキャスティングされていた。
だから、皆より余計にハイテンションであった。
キャスティングといえば、俺の紅テントでのデビューは前の年、つまり入団した翌年の夏に上演された「ジョン・シルバー 愛の乞食篇」だった。
初めて〈当て書き〉された生命保険屋田口だけではなく、復員兵1役と、さらに一本足の憲兵役の三役を演らせて貰えたのである。
今考えると、もの凄いことですね。あり得ない。
唐さんは、座付きの戯作者(兼演出、役者)だから、メインの役は殆ど、その時劇団にいる役者に〈当て書き〉をする。
だから、出来たてホヤホヤのガリ版刷りの台本を読んでいくと、この役は麿さんだろ、これは李さんで、これは大久保さんだろう、これは四谷シモンで、これは不破さんだな、これが唐さんかな・・・これは大月か、梅軒かな?ってな具合に、殆どの配役は、正式なキャスティング発表以前に、解ってしまうわけですよ。
だから「ジョン・シルバー 愛の乞食篇」の台本を初めて読んだ時は、驚いた、驚いた!! と同時に、もうメッチャクチャ嬉しかった。
一幕のトップシーンは、ミドリのおばさんを介抱してる生命保険屋田口くんとのやり取りで始まるんだけど、ミドリのおばさん(実は元海賊の尼蔵)は、怪優・麿 赤児(まろ あかじ)が演るのは間違いない。
ところで、今時、ミドリのおばさんって? という人がほとんどだろうから、軽く説明しとくと、今でも小学校近辺の道路上で、黄色い旗を片手に児童たちを誘導してるおばさんを見かけるでしょう? あの人達のことです。
今は私服で立っているようですが、当初、彼女らを街で見かけだした頃、俺が高校生の時、おばさん達は、皆一様に、緑色のスモックのような制服を着ていたから、通称「緑のおばさん」と呼ばれていた。豆知識オワリ。
俺の化粧、ムチャムチャ濃いなあ
公衆トイレの壁で吐いているミドリのおばさんと、その背中をさすってやっている男(田口)
ミドリのおばさん ありがとさん、お若いの。
男 もういいですか?
ミドリ もういいんだよ、お若いの。
男 気持悪いの治りました?
ミドリ ほっといてくれよ、お若いの。
ってな具合で始まり、20ページぶっ通しで二人きりのやり取りが続く。
で、当時の全座員の中で、田口を演れそうなキャラクターは、俺しかいないように思えた。と言うより、これは俺に当てた役だと、直感した。
19才で初めて唐さんの本と出会ってからの憧れの劇作家、天下の唐十朗に「当て書き」してもらえるなんて、まるで夢のような信じがたい出来事で、無上の喜びを感じたものでした。
だってほんの1年前は、半端な学生に過ぎなかったんですから・・・。
そうそう、そうですね、分かってますよ。今回は「宙を飛んだ」の続編でしたね。話はチョイと脱線しておりますが、しばしの御辛抱を・・・。
「吸血姫」の台本を初めて読んだ時も、肥後の守(ヒゴノカミ)という歌手志望の少年役、これが自分に書かれた役だと、すぐに分った。
大きな役である上に、マイギター一本で主題歌まで歌っちゃう!!!
稽古も半ば迄進んでいたある日、唐さんが、いつものように「今夜、テレビでジュールス・ダッシンの『死んでもいい』をやるぞ」と教えてくれた。
映画『死んでもいい』を知らない人のために、超おおまかに紹介しとくと、ギリシャの海運王の娘フェードラ(メリナ・メルクーリ)は、やり手の船舶業者タノス(ラフ・ヴァローネ)と結婚し1児をもうける。しかし、タノスの先妻との息子アレキシス(アンソニー・パーキンス)と出逢い、二人は禁断の恋に堕ち、悲劇の結末へと突き進んでゆく・・・。
というようなお話で、監督も出演者も超一級の名作です。またギリシャ風な音楽がメッチャ良い。(観ていない皆さんには、是非お勧めの1本なんですが、チェックしたところ、残念ながらビデオ、DVD共、ありません)
翌日、唐さんに呼ばれ、
「昨日の『死んでもいい』凄かったな」
「ハイ、感動しました!」
「根津、あのテーマメロディを使って、今回の主題歌の曲を作ってみろ」
「え?」
「昔、俺もそうやって作曲したことがあるから、根津にも出来るよ」
「そうですか・・・じゃ、やってみます」
その晩から、ギター抱えてチャレンジ開始。しかし、始めの3行ぐらいですぐに行き詰まり、1週間たっても先へ進まない。主題歌作曲の野望は挫折。結局、他の劇中歌も含めて、フォークシンガーの小室等さんに依頼することとなった。
すみません、脱線し過ぎましたね。
この次は必ず「宙を飛びます」、しばらくお待ち下さい。
では、お会いしましょう。